あほうどり、ナイト回航報告(シーボニア→夢の島)

文 鈴木克己(JBSA東京)

日時 2006年10月21?22日
シーボニア出港 21日23時30分、夢の島帰港22日8時
天候 快晴、北北東よりの風、風速1?2メートル、波高0.5メートル
使用艇 あほうどり
参加者(敬称略)
 サイテット(4名) 坂本、竹内、佐藤、二瓶
 ブラインド(2名) 村井、鈴木

21日は快晴の秋空の下でJBSA10周年の記念パーティーが盛大に開かれた。
場所はJBSA創設の地、シーボニア・マリーナのプール・サイド・レストランをメイン会場として使わせてもらった。海上には、夢の島から回航してきた「あほうどり」をお客様に見てもらうため、繋留させた。
またその傍らに、マリーナご自慢の全長90フィート木造クルーザー「シナーラ」を浮かべ第2海上にした。「シナーラ」は、1929年に建造され、第2次大戦中の英国首相となったウィンストン・チャーチルが所有した帆船だ。帆船としての貫禄と歴史の流れを感じさせる風格があり、ロマンを抱かせる船だ。

来賓には、(財)日本セーリング連盟をはじめ、JSAF三浦外洋、JBSA創設の地で「ルミナス」の活動拠点として支援を頂いている(株)リビエラリゾート・シーボニアヨットクラブ、ブラインドセーリングの普及に協力頂いている横浜クルージングクラブ・東京スピリット21ライオンズクラブ、去年の全日本ブラインド選手権大会に協力くださったNPO ニッポンセールトレーニング葉山、あほうどりの活動拠点として支援頂いている東京夢の島マリーナ、(株)横浜エージェンシー、雑誌社の(株)舵社、音訳の会 葉山やまばと他多数の方々を迎え今日のJBSAの姿を見て頂いた。
頂戴した祝辞には、JBSAの努力に最大の賛辞と将来への大きな期待がこめられ、我々の責任の重さを感じさせるものだった。

金子はるみとそのグループによるバンド演奏や、沖縄民謡の演奏グループによるアトラクションを挟んで米国ニューポートのワールド選手権大会に出場した選手の報告が行われた。「上位に入れず悔しい!」との結びの言葉は印象的だった。
創設に関わった先輩会員にとっては過ぎ去った10年の思い出としばし、戯れてもらえたことだろう。そして参集した会員一人一人の心には、日本のJBSAから、世界に通ずるJBSAに育てて行くことを受け止めたことと思う。
こうして宴は夕日が水平線のかなたへ没するまでつづいた。

私たちあほうどりの回航組は身支度を整え、23時30分桟橋を離れ夢の島へ向けて出港した。桟橋では秋山さん、安西さん、石田さんたちが見送ってくれた。
私は初めてのナイトセーリングに、緊張と好奇心で一杯だった。周りの様子の説明を聞きながら、昔陸から見た景色を裏返しにしながら思い起こして不思議な世界に迷い込んだ気分で夜風に吹かれていた。

小網代湾をでて、刺し網を示す発光ブイを避けながら三崎港をやりすごす。やがて舳先を東へ向け城ヶ島の橋をくぐったのは0時10分だった。
空は満点の星。灯台の瞬きを見ながら、波穏やか、深夜の海にエンジン音だけが響く。パーティーの疲れか、会話もとぎれとぎれ。1時を過ぎ剣崎灯台を越えたころには、キャビンから微かにイビキにも似た響きが伝わってくる。先ほどヘルムスが交代したところだ。真っ暗な波間に点滅する光りを確認しながらの航行がつづく。

時計は2時30分をまわり、北風が少し強まったようだ。夜気に冷たさを感じる。
「寒いだろう」と言って作ってくれたカップラーメンの美味しかったことこの上ない幸せ。
「前方より大型船!」本船航路に入ったのだろう。速度を落とし、本船をやり過ごす。船の右舷・左舷を示す赤と青の光で進行方向を判断することを教わる。

間もなく浦賀水道を抜けて東京湾だ。風の塔を過ぎたころ東の空が白んでくる。いつも練習している景色を感じ、夢から覚めたような気分だった。羽田空港から6時10分初の一番機が飛び立っていった。頭上に爆音を響かせて飛行機が次々と飛んで行く。聞き慣れた音、嗅ぎ慣れた潮のにおいに安堵感を覚えたのは何故だろう。そのようなことを考えているうちに、あほうどりは夢の島のバースへ無事横付けされ、8時間30分のナイト回航の幕は降りた。

夜を通して「あほうどり」を安全に走らせてくださったサイテッドの皆さんありがとうございました。
居眠りしても安全なようにハリヤードで体をクリートに確保してコックピットで夜通しナイト回航を体験した私だった。帰宅してそのまま深い眠りに落ちる。貴重な経験をありがとうございました。皆さんお疲れさまでした。