第5回世界選手権2002 帰国速報2002年10月1日 飯島賢司

文 飯島賢司

ご支援下さった方々に心からお礼申し上げます。

私は、一人でチームの皆さんより一足早く、9月29日(日曜日)午後1時30分関西国際空港着のアリタリア航空(日本航空共同運行便)で帰国しました。
日本チームの皆さんは、アムステルダム経由で、明日10月2日午後2時20分成田着の日本航空で帰国する予定になっております。
現在、台風が関東・東海地方を通過中ですが、スピードが早いので、明日の午後の到着は心配ないと思います。
レースの成績などは、すでに戸口さん、その他の方々からメールが入っておりましたし、私も最終結果は、メールで知りました。

一つ残念なことを報告しなければなりません。それは、カメラで撮影したフィルム10本の内、9本がダメであったということです。画面の上、三分の一がベルト状に真っ黒になっていました。最初の一本だけ良くて、残りは全てこのような状態でした。写真屋で写真を受け取って、これがわかったときは、がっかりして言葉がありませんでした。

家に戻って、カメラの裏ぶたを開けてみて原因がわかりました。シャッターの羽の一枚(巾5ミリくらい)が飛び出していたのです。
なぜこうなったのか、私の推測ですが、飛行中の航空機の客室の気圧は地上より低く設定されている。一方、カメラの中は地上と同じ気圧であった。そのために、裏ぶたを開けた際に、シャッターの羽の一部が外に飛び出してしまったのでないか。というものです。
私は、今回の遠征の目的の一つが写真撮影でしたから、そのためにこのカメラ(ペンタックスMZ?S、28?80と100?300のズームレンズ)を購入したわけですから、本当にがっかりしてしまいました。

私は、帰途、ミラノのマルペンサ空港で、航空管制官のストライキに遭遇し、大変な目にあいました。イタリア語は、「ボンジョルノ」と「グラッチェ」と「クアンタ・コスタ」しか知らない者が一人でミラノの町を右往左往しました。

ジャルパック東京の高木さんから、あらかじめホテルの私にストの情報は入っていました。高木さんは、28日11時までに、必ずJALのミラノ支店に行ってくれと私に言ったのです。
悪戦苦闘しながら11時半ごろミラノ支店に到着しました。しかし、土曜日でミラノ支店は閉まっていて「ご用のある方は月曜日に」と書いてあったのです。