第3回全日本選手権2001 レポート 秋山淳

第3回全日本ブラインドセーリング選手権
2001年9月22日(土曜日)~24日(月曜日)
神奈川県三浦市シーボニアマリーナ

文 秋山淳(大会実行委員長)

第3回全日本ブラインドセーリング選手権大会が9月21日より24日までの3日間にわたって三浦市シーボニアマリーナにて行われた。
本大会はプラトゥ25を用いて、福岡、愛知、静岡、神奈川、東京、千葉から8チームが参加した。

輝いている海を一列になって進むヨットの写真

9月22日(土曜日)快晴の秋空の中、全国各地から選手はじめ役員、関係者約80名が集い「第3回全日本ブラインドセーリング選手権大会」が開幕した。開会式冒頭、JBSA竹脇義果(よしみ)会長のリードで、あの忌わしいNYテロ事件による多くの犠牲者のご冥福を祈り、「God bless America」の願いとともに黙祷をささげた。

大会初日22日はプラクティスレースが予定されていたが、海上は15メートル毎秒近い強風が吹き荒れ出艇中止。初めて乗るプラトウ艇での練習が出来ず選手たちには不安が残ったようであったが、何といっても海上のことでもあり静かに気象状況の回復を待つ。

その夜19時00分からはシーボニアヨットクラブ(SYC)主催のウエルカムパーティに招かれ、クラブの島崎理事長はじめメンバーの皆さんの心からの歓待に私たちは感激した。パーティ半ばでは、SYCのクラブ旗が私たちJBSAに贈呈された。伺えばこのフラッグ、SYCの永い歴史の中でも門外不出のものであり、海外の賓客が見えた時ですら出したことはないという。我々を「仲間」として受け入れてくださったその心づかいに私たちは大きな感動を覚えた。また私たちからはSYCに対する敬意と返礼の意を込めてJBSA旗をお贈りし、楽しくそしてフレンドリーなパーティは閉会となった。

SYC旗とJBSA旗の交換を記念して写真撮影

大会2日目23日は、引き続き10メートル毎秒を超える風でレース艇は一旦出艇したものの海上本部の判断でレースは延期。全艇ハーバーに戻り待機となった。午後になって多少風が落ち始めたのを機に各艇リーフをしてレース海面に向けて出艇。14時00分第1レーススタート。その後第2、第3レースを行い本レース第1日目を終了した。

この朝、三浦市の初声(はっせい)中学校ブラスバンド部40余名の生徒さんたちが、レースに向かう選手たちに力強い応援の吹奏をしてくれた。ブラスバンド演奏の前に整列した選手たちは、これから始まるレースへの気持ちをそれぞれに高揚させながら闘志を胸に出艇して行った。神奈川県下でも優秀なブラスバンド部である初声中学校の生徒の皆さんに心から感謝したい。

レース終了後18時00分からは、プールサイドの「ベイショアレストラン」で連夜のパーティが催された。今夜のパーティはJBSA主催。選手、関係者はもとより本大会にご支援、ご協力いただいた方々をお招きしての「懇親パーティ」である。JBSAメンバーの盲学校の先生が参加しているジャズバンドも加わり、気さくで楽しい雰囲気でいっぱいの夜になった。パーティのラストでは参加者全員が肩を組みながら、スタンダードナンバー「星に願いを」を大合唱、会場が一つになった。

最終日24日は、前日の強風が残るものの全艇1ポイントリーフで元気に出艇して行った。予定どおり10時00分に第4レーススタート。その後風も落ちて第5、第6レースはフルメインでのレースとなった。選手たちもプラトウ艇に大分慣れたようで、観覧艇からはスタートラインに全艇横一線きれいに並ぶ姿を見て「本当に視覚障害の方たちですか」と驚嘆の声が上がる。

強風に悩まされたシリーズではあったが、23、24日と2日間にわたって予定された全6レースが無事終了した。

14時00分から表彰式ならびに閉会式が行われた。閉会式では、竹脇会長の「God bless the Earth~私たちの美しい地球に祝福あれ」の願いとともに3日間の大会の幕は閉じられた。

チーム・エンヤードットの写真、海面が太陽に照らされて明るく輝いている
以下、総合優勝「ENYA.」(エンヤードット)チームの選手
川添由紀 ブラインドヘルムスパーソン(横浜市港北区)
森崎繁樹 ブラインドメインシートトリマー(東京都文京区)
日高茂樹 サイテッドスキッパー(神奈川県葉山町)
吉田倫子 サイテッドジブシートトリマー(神奈川県葉山町)