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≪粟島?引田≫ 2004年4月17日

あ ほうどり回航の2日目は、粟島から香川県の引田漁港までの約48マイルのクルージングです。この日も前日同様、天候は快晴、微風、最高気温が29度に達す る暑い日になりました。そして、瀬戸内海は鏡のように凪いでいました。これでもうちょっと風があったら絶好のセーリング日よりになったのではないか、とい う日でした。

私たちは、7時半に宿舎を出て、先ず竹内さんの案内で、海員学校周辺の街を散策しました。
海員学校の入り口脇に、日清戦争のときの戦利品と言われる鐘がありました。案内板によると、それは清朝の戦艦にあったものだと記されていました。
また、海員学校前の敷地には、古い木造のカッターがありました。カッターは、大型の手漕ぎボートで比較的底が深いもので、中央にマストを立てて帆走することも出来るそうです。お父さんたちは、これで練習をしたと言ってました。

そして、竹内さんのお母様の実家を尋ねました。お母様の実家は海員学校の直ぐ側で、細い路地に土塀が並ぶ集落にありました。竹内さんが家の中を見せてくれましたが、玄関を入るとそこには広い土間があり、奥に大きな竈がありました。
竹内さんが、ここにくるといつも時間が止まったように感じる、と言っていましたが、粟島には、瀬戸内少年野球団とか二十四の瞳といった映画に出てくるような街の風景がありました。

私 はそのとき、かつての日本にあった庶民の暮らしの安堵と落ち着きといったようなものを感じることが出来ました。人と人とが助け合って生活している暮らしの 原点というようなものが、そこには残っていました。そして、私自身ここに立っていると、心の高ぶりが消え、魂が忘れていた平静を取り戻して行くようでし た。なにか自分がどこかふるさとに帰ってきているような安心感がありました。

午前8時半、私たちはお父さんたちに見送られながら、粟島を出航しました。海遊とピ-ヒョロが併走し、途中まであほうどりを見送ってくれました。私たちは、お互いに船の上から手を振り合い、別れの挨拶を交わしました。

この日もセーリングするには風がなかったので機帆走です。ですが、あほうどりは、お父さんが「明日は潮が良いよ!」と言っていたように、潮に乗って7から8ノット、早いときは9ノットの対地速度で航行することが出来ました。

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午前10時15分、私たちは、今治に行くときに列車で通った瀬戸大橋を通過しました。そこで例のごとく、瀬戸大橋を通過する前と後に記念の祝杯を挙げました。

そして、午後3時半、あほうどりは予定より早く香川県東かがわ市の引田漁港に舫いました。

引 田では、予め私たちは宿を取っていなかったので、先ずは宿探しです。港で網を片付けていた漁師さんに、近くに宿はないかと聞くと、引田にはないよ、との返 事。私たちは、それでは今日は船の中で寝袋を敷いての宿泊になるかと思い、船室の中を片付け始めたところ、竹内さんが、先に温泉に行こうと提案。そして、 私たちはお父さんに教えてもらった通りの道を歩いて翼山温泉に行きました。途中、お遍路参りの札所があり、帰りにお参りをしようと話ながら、歩くこと30 分、市の社会福祉施設にもなっている温泉に着きました。そこで、竹内さんが機転を利かせ、受付のおじさんに宿泊できるところはないか尋ねました。すると、 おじさんは、私たちが風呂に入っている間に調べてくれて、引田の隣町の白鳥町というところにある旅館を紹介してくれました。お陰で私たちは、温泉で汗を流 すことも出来、宿でゆっくり休むことが出来ました。宿では、温泉帰りに酒屋で調達して来たこの土地の日本酒で、お疲れさんの乾杯。こうして回航2日目が終 わりました。

しかし、この日は残念なことに竹内さんの伯母さんが粟島の実家で息を引き取られました。
伯母さんが亡くなったとの連絡は、私たちが粟島を出た後、昼過ぎに竹内さんの携帯にその知らせが入りました。
実は、私たちが竹内さんのお母様の実家を訪ねていたとき、伯母さんは危篤状態にあったのです。伯母さんはガン末期で、本土の病院に入院していたのですが、どうしても粟島に帰りたい、との本人の希望で、一週間前に粟島に帰ってきたのだそうです。
そのような慌ただしい中、竹内さんのご家族は、私たちを迎えてくれていたのです。

心より、ご冥福をお祈りいたします。

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瀬戸大橋記念の祝杯

あほうどり回航記