≪下田?三崎≫ 2004年5月8日

5月5日、天候の悪化とエンジントラブルのため、あほうどりを下田に置いて一旦帰京した私たちは、翌6日、秋山さんから次のような修正計画を受取り、関係者はスケジュールに従って集合するように、との連絡を受けました。

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回航パート2のメンバーの皆さん、大変お疲れ様でした。陸上から応援していただいた方々、ありがとうございました。5月5日あほうどりを下田に置いて一旦帰宅しましたが、夢の島に向けての回航パート3を以下のように計画しました。

<メンバー> 竹内、橋本、林、秋山
(村井は5月9日、浦賀より乗艇)
(児玉、坂本は都合により、夢の島で出迎え)

<スケジュール>
5月7日(金) 東京18:31?横浜19:00?大船19:16発の東海道線で、熱海、伊東乗り換え、下田22:02着
食料買出し後、宿泊先へ。
5月8日(土) 05:00 下田出港 夕刻 浦賀ヴェラシス入港、 泊
5月9日(日) 08:30 浦賀ヴェラシス出港 午後遅く 東京夢の島マリーナ入港予定

以上 秋山 淳

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5月8日(土) 伊豆下田
メンバー/ブラインド 岩本
サイテッド 秋山、竹内、橋本、林

私はこの下田?浦賀ヴェラシス(結果的には三崎マリン)の区間はどうしても抜けられない用事(法事)があり、乗ることが出来ませんでした。そのため9日に浦賀ヴェラシスからの乗船予定になってました。

あほうどりを下田に置いて帰ってきて以来、このスケジュールを組むのにも、あほうどりの修理のことがあったので、慌ただしい数日となってしまいました。竹内さんはその間、毎日ボートサービスに電話を入れて、修理の状況を確認していたそうです。

実 はこの回航には期限があったのです。私も下田に入ったときにそのことを初めて知ったのですが、もちろん、休みを取って参加するメンバーの時間的制約もあり ましたが、今回航は臨時航海だったのです。あほうどりが瀬戸内海で取っていた船検が限定海域であったため、この回航は臨時航海での届け出によるものだった のです。そして、臨航は期限が1ヶ月と定められているのです。あほうどりは既に4月16日に今治を出航していましたので、ここから臨航が始まりました。そ の1ヶ月後は5月15日です。従って、下田にあほうどりを置いてきた5月5日の時点で、残りが10日になってしまっていたのです。
そのように先を急ぐ回航でありました。この区間の回航メンバーは、上記の秋山さんのメールの通りですが、関空マリーナ?下田間に乗りたくても乗れなかった橋本さん、岩本さん、急用でやむなく串本で降りた林さんも参加となりました。

岩 本さんは、初めメンバーの予定になかったのですが、回航前夜、下田に向かうその日に急遽加わりました。岩本さんは回航の延長戦があることを知ってから、参 加の意志を秋山さんにメールで送っていたようなのですが、それがうまく秋山さんに伝わらず、参加了解の返事がないまま当日になってしまったのです。それで も岩本さんは、当日回航の準備をして出勤して、その足で東京駅の東海道線ホームに行ったそうです。そこで初めて林さん、橋本さんと合流ができ、晴れてメン バーの一員として下田に向かうことができたのです。そのように突然現れた岩本さんに、秋山さんが「サドンリー・ガイ」と名付けました。そしてそれ以来、皆 から「サドンリー岩本」と呼ばれるようになったのです。

私は、法事の最中も、回航のことが気になり、時間が空く度に秋山さんに電話を入れて途中経過を聞いていました。
午前10時過ぎ、時間が空いたので、私が秋山さんの携帯を呼び出しました。すると秋山さんが直ぐに出て「今、大島の元町沖だよ。今日は良い風が吹いている んだよ。それで、もうエンジンは止めておこうってんでセーリングで走ってるんだ。すごく快適だよ。村井さん、良いところみんな岩本さんに持って行かれ ちゃったね。乗せてあげたかったなあ!」と、開口一番気持ちよさそうに言ってました。

あほうどりは早朝5時半に下田を出ました。
北東の風10メートル。三浦半島に向っては真向かいの風ですが、機帆走で快適に走って行きました。しかし、エンジンが不調で、3時間程走ったところで止 まってしまいました。ですが、この頃になっても北東の風は落ちず、セーリングするには艇速も出る良い風だったため、そのままこの日の目的地である神奈川県 浦賀のヴェラシスマリーナを目指してフルセールで進みました。艇速は7ノットあり、先ず伊豆大島の元町港に向かう針路を取って、元町沖でタックを返しまし た。私が秋山さんと携帯で話したのは、この元町沖でもう直ぐタックしようかというときだったのです。

あ ほうどりは元町沖でタックを返した後、伊豆の川奈崎に一度艇首を向け、その後再度タック、三浦半島の浦賀を目指しました。このポートタックレグでは、北東 流の潮に乗り8ノット超のスピードで快調なセーリングが続きました。そして午後3時、早くも剣崎沖8マイルの海面まで来たところから風が極端に落ち始め、 あと6マイルというところで完全に無風状態になってしまいました。エンジンの起動を何度も試みましたが、かかってくれません。そこで、やむを得ずしばらく の間風待ちをしたのですが、なかなか吹き出してきません。しかも、その海域は本船の往来が激しい浦賀水道への導入水路であったため、東京湾の出船・入船の 大型船が次から次ぎへと通過していました。それでも、しばらくそのまま漂って風待ちを続けていたのですが、時間は刻々と経っていきます。このまま日が落ち て暗くなると非常に危険なため、午後4時過ぎ、油壷の三崎マリンに連絡し、曳航を頼むことを決定したのです。

私 は既にあほうどりがヴェラシスに入ったころかと思いながら、午後5時過ぎに秋山さんの携帯を呼びました。すると、秋山さんではなく、橋本さんが出てきまし た。秋山さんは他の電話に出ているようで、向こうで声がしていました。橋本さんに様子を尋ねると、風がぱたりと止んでしまい、エンジンも故障して使えない ので、今三崎マリンに向かって曳航されているところだと説明してくれました。あほうどりのエンジンの通気口から海水が逆流してエンジンの中に入ってしま い、明日出られるかどうか分からないと付け加えました。

こうしてあほうどりは、浦賀ヴェラシスではなく、奇しくも、竹内さんのスピーディーブルーがホームポートにしている三崎マリンに運ばれたのです。これもきっと何かの因果だったのかも知れません。

5月9日(日) 三崎マリン
メンバー/ブラインド 岩本、村井
サイテッド 秋山、竹内、橋本、林

こ の日は、JBSAとしてのイベントがいくつか重なっていました。一つは、茨城県の霞ヶ浦で行われた京成マリーナ共催のブラインドセーリング体験・講習会で す。そちらに日高さんをはじめ、安西さん、瀬川さん、白子さんが参加してました。もう一つは、シーボニアマリーナ主催の月例ののんびりレースです。今期の ルミナスは、年間総合4位に着けているので、そちらも外せません。ですが、回航が遅延しているため、回航にメンバーが取られていて、のんびりレースのメン バーが足りませんでした。そこで急遽、安西さんの友人のセーラーでJ24のコーチをしていた望月さんに助っ人参加してもらい、ブラインドは川添さん、サイ テッドは望月さん、竹下さん、村上さん、渋沢さんが参加して、ルミナスでレースに出場しました。
この日は、朝から雨が降る寒い一日にも関わらず、のんびりレースは小網代の赤白ブイを出発して、茅ヶ崎沖の烏帽子岩を回航して戻ってくるという24マイル の長丁場のコースでした。ですが、レースは終始風がなく、結局コース短縮になり、烏帽子岩がフィニッシュとなってしまいました。しかし、ルミナスは着順7 位、修正9位と、次につなぐ成績を残しました。

そ ういう訳で、この日私は浦賀ではなく、いつもの三崎口に向かいました。午前8時過ぎ、私がメンバーの宿泊している丸八旅館にいくと、竹内さんが相当落胆し ているようでした。私が「ワインを持ってきた」と言っても、竹内さんは「朝から飲んだりしないよ!」と、元気なさそうに応答しました。いつもなら直ぐにお 酒に喜ぶ人なのに、この日はそうではありませんでした。その辺から竹内さんの落胆の深さを推し量ることができました。

午前8時半、私たちは取りあえず、三崎マリンのあほうどりが係留されているところに向かいました。冷たい雨がしとしと降って、とても5月とは思えない寒いハーバーでした。
山下ボートさんが来て、あほうどりにオーニングをかけ、エンジンをばらし始めました。修理には時間がかかりそうな気配でした。それを見ている中に、とても今日は出られそうもないということがはっきりしてきました。
しばらくして、竹内さんが山下さんに呼ばれて行き、戻ってきました。シリンダーにひびが入っていたのです。その他にもエンジンのあちらこちらにダメージを負っていました。
あほうどりはここまで、500マイル超の航海をしてきて、相当な負担がかかってしまったのです。しかも、メイストームに見舞われた航行を余儀なくされ、激 しいパンチングを何度も受けながら来たせいで、エンジンがダメージを受けてしまったのです。
竹内秀馬氏からあほうどりを譲り受けたとき「老艇なので、いたわって使ってやってください!」と贈る言葉としていただいたのに、私たちは酷使してしまったのです。

こ の日夢の島では、あほうどりを迎える準備がされてました。佐藤さんが協力艇のグッドを出していました。グッドには竹脇さんと三香さん、岩本さんの愛妻の キャレンさんが乗り込み、あほうどりとランデブーしてハーバーに入ることになってました。また、JBSAの夢の島での活動のために尽力してくださったマ リーナ管理室長の大野さんが、たくさんの花束を用意して待っていました。それにも関わらず、あほうどりは夢の島に向かうことが出来なかったのです。

私たちは三崎マリンのハーバーで、あほうどりの中に残っていたビールやワインやらをクラブハウスの軒下に持ち込み、しんみりと飲みながら修理の様子をじっと眺めていました。
「こんな寒い雨の日に、烏帽子岩までなんか行くのは大変だよなあ!」と、のんびりレースに行った人たちのことを思いながら、粛々と酒盛りが続きしました。

このようにして、回航のラストステージは翌週の5月15日(土)に持ち越されたのです。