albatross08

≪関空マリーナ?串本≫ 2004年5月1日?5月2日

5月1日(土)午前7時、メンバーは羽田空港に集合しました。私が集合場所に着くと、そこに瀬戸内海メンバーで今回航には参加できなかった橋本さんが見送りに来てくれていました。
私たちは橋本さんから激励を受け、固い握手を交わしあい「行って来ます」と言って、7時35分の全日空機で関西空港に向かいました。

飛行機は関空に8時40分に到着。空港で朝食をとって、午前10時に関空マリーナに到着すると、先に大阪入りしていた林さんが待っていました。
林さんは、回航の食料買い出しを担当してくれており、何と言っても5日間のクルージングなので、買い出しの量も半端ではありません。食材選びには苦労したことと思います。

全員そろったところで、先ず、あほうどりをこの間(4月18日から5月1日まで)係留してくださった、ハーバー総支配人の岸本さんにお礼のご挨拶をし、JBSAからの記念品をお贈りしました。
そして、私たちはあほうどりの艤装に取りかかりました。坂本さんがマストに上り作業を行いました。ジブセールが前回の回航で破損してしまったため、竹内さ んがそれを東京に送り、急いで修理をしてもらっていたのです。先ずはそのジブセールをファーラーに取り着け、その一方、2週間の間に船底にたまったビルジ を抜いたり、食料などの積み込みを行い、整備を整えました。
出港の準備が終わると既にお昼になっており、昼食を済ませてマリーナを出た時は、12時45分になっていました。
再度、岸本さんに出発の挨拶をしました。岸本さんは桟橋で手を振り、あほうどりがハーバーを離れていくのをずっと見守ってくれていました。岸本さんは出発 に際して、南西の風が入るようになったら低気圧が来ていると考えて、とアドバイスしてくれました。

この日の天候は曇りでしたが、雲の切れ目から日差しが望む暖かな日で、海も大変穏やかでした。あほうどりは、瀬戸内海を走っていたときのように快調にエンジン音を響かせ、平均5.3?5.7ノットの艇速で那智勝浦に向かいました。

パー ト1で、鳴門から関空マリーナに向かう時、関西空港とマリーナのある泉佐野市をつなぐ連絡橋の高さが、ヨットが通れるくらいあるかどうか分からなかったの で、橋を遠目に見ながら関空の外側を大きく迂回してマリーナに入ったのです。ですが、今度は岸本さんから、その連絡橋の高さが24メートルありヨットが十 分通れると聞いていたので、橋をくぐって行くことにしました。関空マリーナに来る時は、近くに見えていながら遠かったマリーナでしたが、橋の下を通過でき た分、大分時間の短縮が出来ました。
関空を離発着する飛行機を右手に眺めながら、私たちは先ずは順調なすべり出しに乾杯!とばかりビールを開け、友ヶ島水道に向けて南下しました。
友ヶ島は、淡路島と紀伊半島の間にある沖ノ島と地ノ島とからなる島で、大阪湾を出入りするには、ここ友ケ島水道を通ることになります。やはりここも地形的に狭いことから、潮流の激しいところで有名です。

午後3時、友ヶ島水道に差しかかるところまで来ました。以前関空マリーナに向かう時、この友ケ島水道は追い潮に乗って順調に通過出来ましたが、今回はちょうど時間的に向い潮とぶつかってしまいました。
その時、坂本さんが海図を確認したところ、友ヶ島の紀伊半島側にある地ノ島と紀伊半島との間を通って行けることが分かりました。加太ノ瀬戸というこの海峡は、幅800メートル、水深40メートルあり、これは近道コースです。

午後4時、日が西の空に差しかかったころ、私たちは左手に紀伊半島、右手に地ノ島を眺めながら、この加太ノ瀬戸を通過しました。
あほうどりは、海峡に近づくに従って艇速が落ちて行きました。GPSに表示される対地スピードが、5.3ノットあったのが次第に落ち、4ノットを割り、3ノット、最終的に2.1ノットにまで落ちました。
海面は鳴門ほどではありませんが、潮の流れがピシャピシャと音を立て、ところどころに小さな渦を巻いていました。そして、あほうどりは海峡を越えると行き足を取り戻し、艇速は5.3ノットと元のスピードまで回復しました。
ここで、加太ノ瀬戸通過記念の乾杯。それは回航瀬戸内海編の時のように、皆リラックスモードで陽気なものでした。

午後6時、フランスパンとワイン、ビールにホットウィスキー、それにレトルト食品で、夕食を取りました。林さんと坂本さんがシェフです。その時児玉さんが話していたのですが、この回航に行くに当たって、児玉さんは奥様に「良く働いて来てください」と言われたそうです。
児玉さんの奥さんは、『ブラインドセーリング』と竹内さんのお父さんが書いた『オールドヨットマンのソロ航海記』を読んだ後だったので、児玉さんがこの旅 行に行くのを快く見送ってくれた、とのことでした。そして、この調子だと那智勝浦へは予定よりかなり早く、明日の午前6時頃着いてしまうね、などと話して いました。

午後7時、あほうどりのスタンに溜まっていたビルジを抜いてから、夜のワッチ体制に入りました。私と竹内さん、坂本さんがそのまま9時までワッチに残り、秋山さん、児玉さん、林さんがキャビンに降りました。

加太ノ瀬戸を針路240度で越えた後、田倉崎をかわしたところで日ノ御埼(ひのみさき)へ向けて194度に変針。左手に紀伊半島を眺めながら、ひたすら潮岬を目指して機走していました。
そのころの天候は晴れで、西南西の風2?3メートル。うねりもほとんどなく穏やかなもので、陸には夕暮れの和歌山の町灯かりが光っていました。

午 後9時、私たちのチームのワッチが終了しました。秋山さんたちと交代です。私はフォクスルに入り、仮眠を取りました。次の交代は、深夜0時です。私は船底 を滑る水の音を聞きながら眠りました。この日私は4時起きで、7時に羽田集合だったこともあって、横になると直ぐに睡魔がおそってきました。

5月2日(日)、日付が変わって午前0時、ワッチ交代です。私は良く眠れたので、デッキに上がると爽快な気分になりました。そして、私と竹内さんは、坂本さんが作ってくれたカップラーメンを夜食に食べました。暖かい汁が体を温めてくれて、夜のワッチには最高でした。

左 手側には、田辺の町が見えていました。20年前に竹内さんがお父さんとあほうどりを静岡の沼津から瀬戸内海まで回航した時、竹内さんたちは田辺に入ったそ うです。田辺は温泉もあり、休息を取るのに良いところなのだそうですが、港に入るまでが大変で、岩礁が多く、竹内さんとお父さんは、その時あわや岩に乗り 上げてしまうところだったそうです。海面に岩が光るのが見え、直前で回避した、と話してくれました。そんな時、深夜の田辺沖を走る今の情景を、竹内さんと 坂本さんが説明してくれました。
竹内:「月明かりに海面と陸が照らされて良く見える。波間には夜光虫が淡い光を出して漂っている。夜だから良く見えるのだよ」
坂本:「夜空には満月に少し欠けるぐらいの月が、おぼろに笠をかぶっている」
と解説してくれました。

午前2時、東の風が入るようになり、風が上がってきました。風は5?6メートルのセーリングにはちょうど良い風でした。
竹内さんが、この風ならセーリングで行けそうだ、と言いました。それを合図に私たちはエンジンを止め、メインとジブを上げてセールをフルに張りました。す るとあほうどりはアビームの風を受け、適度にヒールして走り始めました。ドッグハウスの上に置いてあるGPSで対地スピードを確認すると、6ノットオー バー出ていました。

「気持ち良いねえ!」

海での夜の静けさは、まるで吸い込まれて行きそうなくらい静寂でした。そして、ひんやり感じる風が心地よく、波の音がシャバシャバ、シュルシュルと響く上を走っていました。そこには日中のセーリングでは体験出来ない世界がありました。

その時私は、残念なことに実際にその様子を見ることが出来ませんが、微かに脳裏に残るまだ視力を持っていた子供のころ、何かで見た月明かりに照らし出された夜の海の風景を合成して、その様を想像しながら乗っていました。

私にとってのナイトセーリングは、これが初めてでした。
JBSAに入って以来、いろいろな人からナイトクルージングは良いぞ、と聞いていました。皆、口をそろえたように、夜の海の静けさが良いんだよ!、と言っていました。
今回航の時も、竹内さんが夜の海は孤独なんだよ、それが良いんだよ、と私に繰り返し言っていたのを覚えています。
そして、夜の海の静けさほど孤独感のある場所はないということを、私にも粛々と理解させてくれました。
こうして帆走を続けること1時間近く、静寂の中の海を楽しみました。

午 前3時の私たちのワッチオフが近づいてきたころ、風がさらに上がり、8?10メートルくらいになりました。そのため、オフになる前にジブセールをファー ラーに巻き込み、メインはフルセールのまま、エンジンを始動して機帆走に切り替えました。遠方には潮岬らしき陰がありました。

午前3時。秋山さん、児玉さん、林さんが、キャビンから上がって来て、ワッチを交代しました。
私は、自分の休み場所であるフォクスルに入り横になりました。フォクスルでは、この前のワッチオフの時と違って、バウが海面を叩いていて、あまり快適では ありません。さらに時間の経過に伴って、バウが空を切ったかと思うと、海面に叩きつけられるようになり、良く眠れませんでした。それでもうとうとしなが ら、夢を見たかと思うとすぐに目が覚め、再び夢を見たりで一つの夢が続かず、バウが叩きつけられるたびに目が覚めたので、いくつもの夢をバラバラに見てい ました。自分が次にワッチに入る6時には、状況が改善することを期待して横になっていました。

午前5時、あほうどりは潮岬を通過。そのころ風は13?15メートルに上がり、しかも北東に変わって、あほうどりの進路は完全な真上りとなりました。
午前5時半頃、あほうどりのエンジンが突然停止しました。すると竹内さん、坂本さんが起きてキャビンを上がって行きました。
停止ししているあほうどりの船体に波がぶつかり、ドンドンと音を立てていました。坂本さん、竹内さんがデッキから降りてきては、何度もエンジンのセルを回 したりしていましたが、バッテリーの力でセルがから回りするだけです。やむなくスイッチを切ると、ピーという高い音が空しく響くだけで、結局エンジンは起 動しませんでした。

そうしている内に6時になり、私がワッチに入ろうとフォクスルから出て行くと、坂本さんから「今シビアーな状況だから、そこでがんばっていて!」と指示がありました。坂本さんはそう言うと慌ただしくデッキに上がって行きました。
再度フォクスルに戻って横になると、船体が大きく傾いて、置いてある荷物が傾いた側に次々と流れ落ちて行きました。そして、さらにドスンという音を立てて バウが空を切ったかと思うと、バチーンというものすごい音を鳴らして海面を叩くようになりました。船の傾きは体を固定しているのが大変なくらいでした。そ れでも私は、中にいると傾きが相当なようだけど上にいるとそうでもないんだろうなあ、などと考えながら、30度?40度程度かなあ、と見積もってました。

その間、坂本さんがデッキとキャビンの間を何度も上り下りしていました。そして、ハッチに指し板をしてまた上がって行きました。
取りあえず何もしていないけど、今ここで自分に出来ることはないかな、と考えました。荷物が散乱したフォクスルの傾いた側の一番端に、水が満タンに入った ポリタンクが紐でくくりつけてあるのを見つけました。私はそのポリタンクを反対側に移し替えて、体を固定しながら手で押さえました。すると、気持ちヒール がつぶせたような気がしました。
あほうどりがスターボードで走り、ハルの側面に波が当たる音が聞こえています。またデッキの上では、何か作業をしている音が聞こえて来ました。
そのころ、あほうどりはセーリングで走っていました。フルメインセールだったのを、初めワンポンに縮めたのですが、それでもだめだったので、ツーポン(あほうどりにはスリーポンが基本的にありません)に変える作業をしていたのです。
その時の様子について秋山さんは、海が荒れだしてからの作業だったので、大変になってしまった。ヒールしたといっても反対側のデッキを濡らす程度だったか らそうでもなかったんだよ。早めにリーフしていれば何等問題はなかったんだけど、と教訓を述べていました。

その後風は落ちる気配もなく、あほうどりは真っ向からの波にたたかれてパンチングを繰り返し、艇速も上がらないまま進んでいました。
この時点で、この海況とこの風向、さらにエンジンも使えないということから、目的地を那智勝浦から手前の串本に急遽変更することが決定されました。

午前7時、あほうどりはリーフしてセーリングを続け、潮岬を回ったところにある串本漁港に船首を向けました。
港に入る時も、エンジンが使えなかったので、セーリングのまま艇を岸壁に着けました。

5月2日、午前8時ちょうど、串本港に着艇です。

あほうどり回航記