albatross09

≪串本?那智勝浦≫ 2004年5月2日

5月2日(日)午前8時、串本港。
雨が降っていました。そして、突風が断続的に入って来ました。15?18メートルあったかと思います。
私がデッキに上がると、竹内さんが串本に入ったよ、と教えてくれました。また、児玉さんと秋山さんが、荒天の中でセールをリーフする時の様子について、坂 本さんがあほうどりの上を、ひらりひらりと飛ぶように走り回って作業をしたんだよ、と感嘆を込めて言っていました。

そして、どうしてこんな天気になったんだろうと話し合っていました。連休中の天気予報は、前半が良く、後半が崩れるとされてました。それなのに風は強風となり、海は荒れたのです。
いつの間に天気予報が変わってしまったのかなあ、と言いながら、携帯電話で177の気象情報を聞いてみましたが、この日の和歌山県地方に注意報や警報は何 も出ていませんでした。それどころか、近畿地方の天候は高気圧に覆われ、ところどころ気圧の谷間があるものの、おおむね天候は安定していると言われてまし た。悪いことなど全く報告されていませんでした。海上の波や風についても、潮岬での風速は8メートル、波は1.5メートルとされていました。
しかし、明日の天気は北海道付近に低気圧があり、その移動に伴って前線が北上するため、南から強い風が吹く。湿った風が南から入るため、九州、四国地方は大雨になる。近畿地方も午後から風が強くなり、雨が降ると予報されていました。

一息ついた後、先ずあほうどりのエンジンがかからなくなってしまった原因として、スクリューに流れ藻が絡んだのではないかと考え、竹内さんが海に潜りました。
竹内さんはその時「今年の初泳ぎが今日になるとは思っても見なかった。親父があの歳で潜ったのだから、俺が潜らない訳にはいかないだろう」と言って水に入 り潜ろうとした時、そのすぐ脇で秋山さんが、あほうどりのスタンに立って小便をし始めました。それに気がついた竹内さんが「人が潜ろうとしている時に、汚 いんだから!」と苦笑いしながら怒っていました。
そんな会話を交わしながら、竹内さんが潜り、一発であほうどりのスクリューに絡んだ藻を切って来ました。そして、エンジンを始動させようとセルを回したのですが、それでも起動しません。
それで今度は、ヒールして打たれている内にエンジンがエアーを噛んだのかと考えて、竹内さんがお父さんに電話をして、あほうどりの状況を説明して、エアー の抜き方を教わっていました。燃料タンクには燃料が半分ぐらいまでになっていました。そして竹内さんと坂本さんがエンジンルームを眺めながらいろいろやっ てみたのですが、うまく行きませんでした。
そのため、まだ朝食もとっていなかったので、私たちはひとまず町に出て食事をとろうとあほうどりを離れました。途中漁業組合に寄って、エンジンの修理を頼 めないか尋ねました。すると組合の人がいろいろと修理屋さんを当たってくれましたが、どこも連休のせいか不在でいませんでした。それでもその組合の人が、 一人心当たりがあるので、午後2時頃もう一度組合に寄ってみて欲しい、と言ってくれたのです。

雨 の串本の町に出ました。食事どころを探したのですが、これもまだ10時前だったこともあり、開いている飯屋がなかなか見つかりませんでした。秋山さんが、 そこに民宿があるよ、と看板を見つけました。私はその時、秋山さんは今日はここでお泊まりのつもりでいるんだろうな、と思いました。私自身もこの風じゃあ 出られないと思っていたので、串本に宿泊になると見ていました。
雨に濡れながら歩くこと20分、なんとかファミレスのような店を見つけました。そこに入り食事を注文すると、お食事は11時からです、と言われてしまいま した。取りあえずビールとつまみを頼み、11時になるのを待つことにしました。そして先ずはお疲れさんの乾杯、ということになりました。
こうして私たちはビールも飲み、お腹も一杯になったところで、漁港に戻りました。途中GPSとケンケンを売っている店はないかと、探しながら歩いて行きました。
GPSは、あほうどりのドッグハウスの上に置いてあったため、串本に入る手前で波をかぶって濡れてしまい、全く使用不能になってしまったのです。その GPSは、一応防水対応になっていたのですが、いかんせん波を何度も浴びてしまったので、触るとコントロールパネルから水が染み出て来るほどになっていま した。乾かしてもそれ以後機能することはありませんでした。
GPSが手に入らないかあちこち覗いて歩いたのですが、小さなひなびた漁師町だったので、残念ながら売っている店はありませんでした。また今回航の前に、 白子さんから秋山さんのところにメールが届いていて、この季節は黒潮に乗って鰹が上がってきているので、釣りをすると良くかかるよ、と書かれていました。 それを思い出した私たちは、ケンケンが売っていないか探したのですが、それもここ串本にはありませんでした。

午後2時、私たちは結局GPSもケンケンも手に入らないまま、あほうどりに戻って来ました。
林さんは、朝自宅から電話があり、どうしても帰らなければならない急用が出来てしまったため、ここであほうどりを降り、電車で帰って行きました。
そして、休息を取り元気を回復した竹内さんが、再びエンジンのエア抜き作業に取りかかりました。今度はエアがうまく抜けて、セルを回すとエンジンが起動し復活しました。やれやれです。
私たちはエンジンがエアを噛んだのを、ヒールしながら機走したせいだと思い、燃料をこまめに補給しながら行けば大丈夫と考えました。
漁業組合に行き、エンジンの修理をしてくれる業者はいないか探してもらっていた人に、自力でエンジンを回復させることが出来たことを伝えるため、お礼を言いに行きました。

雨は相変わらず降っていましたが、風は強いながらやや落ちたようでした。
あほうどりを舫っている向かいに、海上保安庁の船が着岸していたので、そこに情報をもらいに行きました。ちょうどその時保安庁の人が天気図をプリントアウ トしていたところだったので、それをもらって皆で見ましたが、潮岬周辺の天候は天気図上どこも悪くなる要素はありませんでした。むしろ翌日の方が、等圧線 の間隔が迫ってきていて、悪くなりそうな予報になっていました。
竹内さんが、ここにいてもしょうがない、出よう、と皆に声を掛けました。取りあえず那智勝浦まで走って、それでも行けそうだったら下田にそのまま向かおう、と言いました。
本来なら那智勝浦を既に出て、下田に向かっている時間です。私は、風がやや落ちたとはいえ、嫌だなあと思いながらあほうどりに乗り込みました。

午後3時40分、あほうどりはエンジンを始動させ、串本を出港しました。ここからはGPSが壊れてしまったため、正確に現在地と目的地を知る現代の力はありません。海図とベアリングが頼りです。
港を出ると、あほうどりは船首を上げ下げしながら走り始めました。うねりは2?3メートル、風は東北東の風10?12メートルありました。雨も降っていました。
竹内さんがこれなら行けるでしょう、と言って、潮岬から直接御前崎に向かう針路をとりました。コンパス角度80度です。
こうして、機走で走り、真向かいの波に打たれながらあほうどりを進ませ、しばらく行ったところで、坂本さんが気がついたようにあることを指摘しました。そ れは、このままパンチングしながら上って行った時、艇速が1時間に3ノットだったとすると、残りの燃料が30リッターしかないので、御前崎までの150マ イルには燃料が足りない、と言ったのです。
その時全員がコックピットにいたのですが、竹内さんをはじめ、陽気に笑っていた児玉さんまでも、皆無言になってしまいました。
沈黙が流れ、私がそれを破ろうと「みんな無言になってしまいましたねえ!」と声を出すと、竹内さんが「そりゃあー無言にもなるよ」と、ぼそっとつぶやきました。
私はその時、竹内さんが引き返そうと言ってくれるかな、と期待したのですが、そのような言葉は出て来ませんでした。

午後4時半、私たちはワッチの体制に入りました。私と竹内さん、坂本さんがそのままコックピットに残り、秋山さん、児玉さんがキャビンに潜りました。次の交代は午後6時です。

ワッチに入って直ぐに、竹内さんがメインをあげようと言いました。私と坂本さんとでメインをツーポンで張りました。すると船はヒールしながら、艇速を一段と上げて行きました。
メインが上がった後も、坂本さんがコックピットに立ったまま、竹内さんといろいろとやりとりをしていました。あほうどりは波にもまれながら不規則に傾いた りしていました。竹内さんがティラーを握りながら坂本さんに「立っていないで座ってよ。見ていて怖いから」と言っていました。しかし次第に波とうねりがさ らに大きくなって来て、あほうどりはヒールしながら船首を上げ、山を登ったかと思うと、今度は船首を下げて、谷底に向かってふわっと落ちて下って行くよう でした。その度に飛沫が正面からコックピットにいる私たちに降りかかりました。ヒール角度も強くなり、波の高さは4?5メートルぐらいになっていたかと思 います。
私は、足を伸ばして反対側のデッキの縁に掛け、さらに手でコックピットの縁や座面の下にあるクリートを掴んだりして、体を固定していました。
雨は降り続き、セーリンググローブもオイルスキンもびしょびしょになっていました。時折かぶる飛沫が、不気味に暖かかったのが印象的でした。実は、私はこ のまま御前まで行くのはとても無理だと思っていました。気力・体力共に持たないと思いました。だけど、どこで、引き返そうと竹内さんに言ったら良いか、考 えながら乗っていました。それに、率直に引き返しましょうなんて言うことは出来ません。また港に入るには、明るい内でないとだめということも頭にありまし た。引き返すにもタイムリミットがあります。

午後5時半、竹内さんにいつ言おうか考えていました。だけど、なかなか言い出すことが出来ず、時間が経過して行きました。自分はずぶぬれになっていて、時計の蓋を開けて針を触ることが出来ないので、坂本さんに時間を聞きました。「5時半だよ」と教えてくれました。
そこで、私は明るい内に港に帰るには今が限度だな、と考えて竹内さんに言うことの決心をつけました。
私が「御前までは遠いですよねえ!このまま行くのは大変ですよねえ」と言うと、竹内さんと坂本さんが口をそろえて「引き返そうってこと?ん?ん・・・」と言ったまま、しばらく沈黙が続きました。
それ以上言葉を続けることは出来ませんでした。何だか全身の力が抜けていくような気がしました。

午後6時、ワッチ交代です。交代に入る前に坂本さんが、潮岬を起点にベアリングで数ヶ所のポイントを取り、位置の確認を行いました。
すると、秋山さん、児玉さんが、パンチングがすごくてもうフォクスルでは寝てられないよ、と言いながらキャビンから上がって来ました。
そして私と坂本さんが、先に下に降りました。私は慎重に足を降ろし、あちらこちらを手で掴まりながら階段を降りました。キャビンの床は斜めになり、ひどく 揺れていました。ずぶ濡れになったオイルスキンとグローブを脱ごうとしましたが、もう引き返せないと落胆してしまった私には、手足に力が入らない上にそれ らが重く、うまく脱ぐことが出来ません。そのまま横になってしまいたい気分でした。そのような私を坂本さんが手伝ってくれました。その時思わず、坂本さん に「怖いですよ」と漏らしてしまいました。すると坂本さんは「怖いのはみんな一緒」と先ず発し、続けて「だからみんな一生懸命がんばっているんだよ!」。 私は坂本さんが後半なんて言ったのか正確に覚えていませんが、そのようなことを言って励ましてくれたように記憶しています。
そこに竹内さんがデッキから降りて来ました。そして夕食に何を食べようかと3人で話している時です。私たちの声をかき消すようなものすごい音で、バチーン、ガシャーンと響き、キールからマストをつなぐ柱、船全体が振動しました。
竹内さんが「艇速を下げて!波より艇速が勝っているからだ」と言って、慌ててキャビンを上がって行きました。後で坂本さんが言っていましたが、ジンバルが吹っ飛んでいた、あれは船が2メートルは飛んだね、と回想していました。
その後、あほうどりは艇速を落としましたが、それでも船体が波を飛んで、バチーンと鳴って、それは治まる気配がありませんでした。

午後6時半、竹内さんがコックピットに上がって行きました。クォーターバースにいた私の耳に、上で秋山さんと竹内さんが、串本にするか那智勝浦にするかと話しているのが聞こえてきました。
それを聞いて安心しました。そして船がポートからスターボにタックを返しました。これで那智勝浦に向かったな、と思いました。スターボにタックを返してからのあほうどりは、先ほどよりやや安定したようでした。

午後8時、下に降りてきた坂本さんが、いま那智勝浦沖にちょうど来ていると思うけどなあ、と言いながら海図を眺めているようでした。そして、7秒に2回と30秒、赤色灯台が・・・・、とつぶやきながら上がって行きました。
その時です、クォーターバースに潜り込んでいた私に、鼻をつんざくようなゴムの焼けるような臭いがしてきました。串本を出るときに閉め直したスタンチュー ブが、スクリューの回転の摩擦で焼け始めたのです。坂本さんが再びキャビンに降りて来た時、そのことを告げました。すると坂本さんは「分かっているよ! さっきそのことが気になって皆に聞いたけど、誰もそんな臭いしないって言っていたから。今はちょっと手が放せないから後で・・・。」と話して上に戻って行 きました。
それから間もなく、坂本さんが降りて来てエンジンを止め、クォーターバースから潜り込んでスタンチューブを触って確認しました。それほど熱くなっていないから大丈夫、と言ってチューブを少しゆるめて上がって行きました。

そして、いよいよあほうどりは那智勝浦港アプローチにとりかかりました。夜ということもあって結構やっかいな入港路のようで、水路誌をもとに導入灯の位置と進路を指示する坂本さんの声が、ひときわ大きく響いていました。

午後9時、無事に那智勝浦港に入りました。
先に岸壁に着けていた漁船の乗組員の人たちが、あほうどりの舫いを取ってくれました。私がデッキに上がって行くと、アプローチの様子について児玉さんが、 坂本さんのナビゲーションぶりに感動しながら、そのすばらしさを後でメールに書いて私に伝えたいぐらいだったよ、と讃えていました。
那智勝浦の港には漁船の他、プレジャーボートが多く着けていました。那智勝浦は、この辺りでは有名な観光地だそうです。連休中ということもあって、港は賑わっていました。

雨は相変わらず降り続き、風も串本にいた時と同じような風が吹いていました。
港に上がってからは、先ず夕食をとろうと、宿を探しながら歩きました。途中、何軒か宿がありましたが、どこも満室で5人が宿泊できるところは見つかりませんでした。
秋山さんと竹内さんの青学のヨット部の後輩がこの那智勝浦に住んでいるのだそうですが、その彼も連休で旅行に出ていました。それでも前日、関西空港で朝食 をとった時、竹内さんがその後輩に連絡を取っていました。当初の予定では那智勝浦には2日の午前中に入ることになっていたので、その後輩から那智勝浦でも 由緒ある旅館「浦島」の支配人に紹介してもらって、私たちがそこで休めるようにしてくれていたのです。
しかし私たちは、エンジントラブルと荒天のため串本に入り、串本から下田に直接向かうことになっってしまったので、竹内さんが再度連絡を取って、浦島での話をキャンセルしてしまっていたのです。

私 たちは、海鮮居酒屋にひとまず入りました。そこの女将に宿はないかと尋ねたのですが、あまりその女将は親切な人ではなく仲介をしてくれませんでした。それ でも、そこで働いていた若い女の子が、いくつか心当たりの旅館の名前を挙げてくれました。それらの電話番号を坂本さんが104で調べ、宿泊出来ないか当 たったのですが、どこもやはり満室でした。
それでは再度青学の後輩に頼んで、浦島に話を付けてもらうしかないということになったのですが、竹内さんも一度頼んでもらっていたのに後でキャンセルした という事情があって、結局それは出来ませんでした。そのため自分たちで直接浦島に連絡を取ったのですが、いかんせん連休中の観光シーズンのことでしたの で、当日しかも午後10時近くなってから、通常のルートで泊めてもらうことは出来ませんでした。

取り敢えず、ビールを頼んでお疲れさんの乾杯をしました。
竹内さんはその際私に「これで村井さんも、外洋帆走クラブの一員になったね!」と言って、私とグラスを合わせてくれました。
それに対して私は「これは外洋恐れ入りました記念ですね。」と言って、応答しました。
さらに児玉さんが私に「そんなに悲観的になっていてはダメですよ。オプティミスティックにならなきゃあ!」と声を掛けながら、いつもの児玉さんの陽気な笑 い声を出していました。児玉さんはさらに続けて「あれだけの波にバチーンと打たれながら上って行くのは、結構きついんですよね。追い風ならある程度強くて も、波に乗ってサーフィングして行けるんですけどね」と振り返っていました。
そこに竹内さんが、「明日は南の風が吹くんでしょ。風に乗って、一気に夢の島まで飛んで行っちまえ」と息巻いていました。
私たちはそんなことを言いながら、ご当地名物の秋刀魚寿司を美味しい美味しいと食べ、荒波を越えてきた疲れを癒しました。

飯屋を出た時、時間は既に午後11時を回っていました。腹ごしらえも出来、ほろ酔い気分で港に歩いて戻る途中も、目に付く宿に部屋は空いていないか聞きましたが、全くダメでした。仕方がないので、風呂にでも入って暖まって、あほうどりで寝ることにしました。
それで、銭湯を探して見つけたのですが、ここもシャッターが半分降りて、閉店しようとしていました。それを坂本さんが交渉してきてくれて、私たちは温泉に浸かることが出来ました。お湯は硫黄泉でした。
その時竹内さんは、疲れ切ってしまっていたからか、風呂に入らないで直ぐにでも寝たい、と歩きながら言っていたのですが、坂本さんから、竹チャンは串本で潜っって体が冷えているから入った方が良いよ、と言われていました。

あ ほうどりに戻ると午前0時を過ぎていました。そしてキャビンの中に5人が寝ることになりました。フォクスルには児玉さんと坂本さんが、同年齢同士だね、と 言いながら入り、秋山さんと竹内さんが同窓生同士でキャビンのダブルバースに寝ました。私は一人で、オーナーバースと言われるクォーターバースに寝かせて もらいました。
私たちは皆、緊張の連続で疲れ切っていたところに、温泉で体を温めることが出来たせいか、直ぐに寝入ってしまいました。

このようにして、当初予定していた寄港地である那智勝浦に到着し、長かった回航パート2の第1レグが終わりました。

私は、気象の変化の激しさ、海の恐ろしさ、自然のダイナミックな変化に、ただただ恐れ入るばかりでした。

あほうどり回航記