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≪三崎?東京夢の島マリーナ≫ 2004年5月15日

5月15日(土) 三崎マリン
メンバー/ブラインド 岩本、村井
サイテッド 秋山、竹内、坂本、橋本、林

この5月15日(土)は、皆さんご存知の通り、JBSAの将来を決める大切な臨時総会が開かれた日です。そのような日にあほうどりが夢の島に到着することになったのは、JBSAがさらに一歩踏み出した一つの象徴的な出来事になったのではないでしょうか。

この最終レグのメンバーは、そのフィナーレに相応しく、回航に加わった乗員がほとんど揃って夢の島に向けて航海をすることになりました。しかし、児玉さんは残念なことに仕事の都合で参加できませんでした。

午 前8時半、私たちが三崎マリンに着くと、あほうどりのエンジンは息を吹き返していました。ボートサービスの山下さんが、朝からあほうどりの出航のためにエ ンジンの調整をしていてくれたのです。エンジンの修理は相当なものになったらしく、竹内さんの話では、台座のブロックだけ残して、後は部品がほとんど全て 入れ替わった、とのことでした。それほどの修理だったのに、山下さんは今日の回航に間に合わせてくれたのです。山下さんは「ひさしぶりに苦労させてもらい ました」と挨拶をすると、試しに城ヶ島の辺りまで走らせて様子を見て、一度戻ってきて見せてください、と言っていたのですが、私たちは先を急ぐ必要があっ たので、走らせて問題がなさそうであればそのまま夢の島まで行きます、と返事をして早速あほうどりに乗り込みました。

あ ほうどりは、快調にエンジン音を立てて滑り出し、夢の島に向けて出航しました。この日の天候は瀬戸内海をクルージングしたときのように快晴で、5月にして は30度近くまで気温が上昇する暑い日でした。風がほとんどなかったため、セーリングすることは出来ませんでしたが、海も穏やかで、瀬戸内海を走ったとき のようにリラックスしたクルージングになりました。

あほうどりは三崎を出て、先ず東京湾の反対側の千葉県の保 田を目指す針路を取りました。これは、本船航路が東京湾に入って行くときは千葉県側、東京湾から出ていくときは神奈川県側を航行するというルールになって いることから、千葉県側を進んで行った方が安全と判断したからです。
あほうどりは、城ヶ島大橋を越え、順調に進みました。剣崎を交わして、久里浜の火力発電所の煙突を眺めながら東京湾を横断して行きました。「火力発電所の 煙突がなかなか小さくならないねえ!」なんて言いながら乗ってました。そして、昼食はどうしようかという話題になりました。私が「せっかく保田に向かって いるんだから保田の番屋で食べよう?」と言ったら、竹内さんも「これなら早く着きそうだから、保田で昼食をとろう」と言ってくれました。

保 田漁港の番屋は雑誌のKAZIでも紹介されているように、関東のセーラーがデークルージングで良く立ち寄るスポットです。取れたての魚貝類を食べさせてく れること、海からのプレジャーボートも受け入れていることから人気があるのです。私は昨年の4月のJBSAの定期クルージングのときに一度行ったことがあ るのですが、確かに評判通りのところでした。帰りにアジとエボダイの干物を港で買って、家で焼いて食べたのですが、これも薄目の塩加減が良くて、美味し かったものです。この8月の定期クルージングでも保田に行ったのですが、クルージングの参加者が初めは少なかったのに、MLで保田に行くと流したら突然参 加者が増えたくらいです。浜名湖のメンバーの方も、機会がありましたら是非一度行って見てください。

そのよう に保田で美味しい魚が食べられると楽しみにしながら乗っていました。そして、千葉県側の陸地が次第に良く見えて来るようになりました。午前11時過ぎ、沿 岸の建物がはっきり確認出来るくらいのところまで近づいたので、良く見ると、私たちはどうやら保田の先に来てしまっていたことが分かりました。戻ってもそ う遠くない位置にいたのですが、時間がもったいないので保田は諦めて、そのまま北上を続けることにしました。
そういう訳で昼食は、あほうどりの上で、ビールを飲みながらカップラーメンとレトルト食品になってしまいました。ですが、竹内さんのお父さん特製の鶏の薫 製が大事にしまってあったので、瀬戸内海でお父さんと食べたのを思い出しながら味わうことが出来ました。

竹 内さんはこの日上機嫌でした。あほうどりのエンジンも回復し、ようやく夢の島到着があと数時間というところまで、現実のものとして見えてきたからです。竹 内さんは、お父さんからあほうどりの回航を託され、大きな責任を背負ってここまで来たのです。回航に当たって、あほうどりの整備や船検、途中の停泊地の確 保、その他諸々の調整をした上に、実際の回航のスキッパーとして厳しい判断を迫られながら、時化の海を乗り越えて来たのです。その責任の重圧は計り知れな いものがあったかと思います。竹内さんは、ようやく夢の島が近づいて安心できるようになったせいか、ビールを飲んだ後、いつの間にかバースに横になって寝 てしまってました。
私も、こんなに落ち着いて気楽に乗っていられる日が久しぶりだったせいか、また朝が早かったこともあって、眠くなってしまい、いつものフォクスルに潜り込 んでしばらく横になりました。揺られ具合がちょうど良く眠気を誘っていました。そのようにバースで心地よく寝られるのは瀬戸内海をクルージングして以来の ことでした。

あ ほうどりはその後、東京湾の千葉県側を北上し、左手側に追浜や八景島を見ながら進みました。午後2時過ぎ、観音様を海から眺めながら富津岬を交わしまし た。そこから遠くに小さく見える横浜のランドマークタワーを狙って進み、第1海保を横切って、東京湾の真ん中あたりに出てきました。すると「海ほたる」が 比較的はっきり遠くに見えるところまで来てました。ここからは「海ほたる」を目標に進みます。

午後3時、私は 竹脇さんに途中経過を伝えてもらおうと、安西さんの携帯を呼びました。総会の最中であることは知っていたのですが、3時なのでひょっとすると休憩に入って いるかも知れないと都合良く解釈して電話をしました。しかし、その予測は外れ、総会の真っ最中でした。そして、安西さんにあほうどりが順調に進んでいるの で、午後5時過ぎには夢の島に到着出来る見込みであることを知らせました。

その頃は皆リラックスモードで、そ れらのポイントを通過するごとに祝杯を挙げていました。坂本さんが海図を眺めながら私に、「海ほたるのどっち側を通って行きたい?ブリッジの下をくぐって 行く、それとも海側を通って行く?」と尋ねました。それで、私が「橋の下を行こう!」と返事をすると、坂本さんは海図から針路を拾っていました。

そ して、いよいよ海ほたるが迫ってきました。海ほたるを越えると、後2時間ほどで夢の島到着です。この時のために用意したフランス産の赤ワインを開けて、そ の瞬間を待ちました。この赤は、ボルドーのシャトー・ベンシビルというワインの97年で、ラベルに帆船の絵が描いてあります。粟島で竹内さんのお父さんに 贈り物として差し上げた物と同じワインなのですが、お父さんに差し上げたのは、あほうどりが建造されたのと同じ1981年のベンシビルです。ラベルが帆船 の絵なので贈り物に良いなと考えて探していたら、その81年のものがあったのです。

私たちは、海ほたる通過と 同時にこの97年で乾杯をしました。皆でこのワインを飲み干した後、坂本さんがそのボトルを持って私のところにやってきて、「これをジュピターに捧げ て!」と言って手渡しました。そして、私はあほうどりのスタンに立って、海の神に「これからのあほうどりの安全な航海をよろしくお願いします」と言って祈 願しながらボトルの底に残ったワインの澱(おり)を海面に注ぎました。

こうしてあほうどりは、海ほたると平行 して建っている「風の塔」を眺めながら浦安沖に入りました。そして、ディズニーシーの火山や帆船などのアトラクションを見物しながら航行しました。頭上に は羽田からのジェット機が轟音を立てて低空飛行していました。その光景は、昨年の9月に初めて東京湾をクルージングしたとき以来、久しぶりに見る懐かしい 様子でした。
そのクルージングは東京クラブとしての第1回のものでした。その様子は竹脇さんが以下のようにMLで報告しています。

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第1回東京クラブ、初セーリングの報告をします。

9月13日 10:00 夢の島マリーナ、GOOD(タカイ32ft)

参加者 佐藤夫妻、椿原、坂本、竹内、橋本
ブラインド/村井、竹脇

新木場駅にて、橋本さんの車で村井さんをピックアップ。5分で現地。ここは徒歩でも大きな公園を横切って15分ほどのところ。
天気ははれ、台風14号の影響で、30分ごとに流されるハーバーアナウンスは、南西9?18メートルの風、と注意を促す。
10:30、出航。京葉線のブリッジをくぐる辺りは、荒川の河口からの流れと南風で波が悪い。ここで1発目の波をかぶる。おそれていた東京湾のスプレイ。 だが心配無用。東京湾はすっかりきれいになっていたのです。汐の香とスプレイをを浴びながら心地よい。30分ほどでセーリングエリアにでる。メインと?3 ジブで快適なセーリング。
竹脇ヘルムス、村井メイントリム。グッドバランスな船とベテランセーラーの指導で強風のなか、実に安定した走り。9時方向にディズニーランド、ときおり羽 田に下りるジャンボ機の迫力あるエンジン音も豪快だ。お台場の風車は、あれはオランダだ、とだれかが言う。振り返れば東京タワーと高層ビル群、あそこは ニューポート。おっ、あっちには椰子の木、あれはハワイだ。竹内さんがときおり、海はあくまでコバルトブルー!と叫ぶ。もちろん初セーリングのビールの乾 杯は忘れていない。次はワイン!。ソムリエ村井もご満悦。
ヘルムとトリムを交代し、浦安マリーナ沖で転針、帰路につく。帰りは風も少し西に振れ、豪快なサーフィングを繰り返す。14:30ポンツーンに横づけ。我 々がクラブハウスのシャワーをあびている間に、佐藤さんの奥さんたちが生ハムやチーズのデラックスランチをコックピットに用意。ブームを使ったキャノピイ も効果的。日差しをさけて風が涼しい。再び、ビールとワインで乾杯!シングルモルトで締め。かすかにゆれるデッキでのまどろみ。至上のとき、東京湾セーリ ングの夢はひろがる。

竹内さん、佐藤さんたちのご尽力により、こんな初セーリングとなりました。GOODのみなさん、ありがとうございました。

竹脇 義果

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そ して、間もなく夢の島の入り口に到着しました。そこには夢の島をホームポートとするボラボラというヨットが私たちを出迎えに出ていました。岩本さんは夢の 島では大分顔が利くみたいで、夢の島のいろいろなヨットに乗っているようです。そのボラボラには岩本さんの愛妻のキャレンさんが、オーナーの竹下さんと一 緒に乗ってました。そして、あほうどりとボラボラは併走して、夢の島マリーナに入港しました。
あほうどりがJBSAのバースに舫ったのは午後5時半でした。これで、600マイル近くに及んだあほうどりの長い航海が終りました。そして、私たちがこれ ほどの距離の航海を無事にここまで来れたのは、竹内秀馬氏の分身であるあほうどりが頑張ってくれたからです。

バー スにはJBSA予約バースと書いてありました。あほうどりが夢の島に入ったことで、このバースもようやくその主を得たのです。桟橋にはマリーナ管理室長の 大野さんとスタッフの方々が、あほうどりの出迎えに立っていました。私たちの東京での活動が実現したのは、この大野さんのお陰です。大野さんは「ようこそ いらっしゃいましたね!待ってましたよ」と、長かった航海を労う挨拶を交わすと、お祝いに私たちにシャンペンをくださいました。
そして竹内さんが、先ずお父さんにあほうどりが無事に夢の島に舫われたことの報告の連絡をしました。私がお礼の挨拶のために竹内さんから変わると、その携 帯電話の向こうに聞こえるお父さんの声も、喜びと安堵に満ちていました。続いて私たちは、何とかあほうどりのエンジンを間に合わせてくれた山下ボートの山 下さんにお礼の電話をしました。山下さんも大変喜んでくれました。

私たちはそれから、大野さんはじめ桂田さんや村上さんから夢の島到着のお祝いにいただいたシャンペンを次々と開け、回航が無事に終わったことを喜び合い、労い合いました。
そうこうするうちに、竹脇さんが三香さんと共に駆けつけてきました。竹脇さんは、今治に向かう私たちを東京駅で見送って以来、心は回航を共にしてきたので す。竹脇さんが昨年の5月の総会で、東京クラブを立ち上げようと提案し、その実現のために、協力を各方面に呼びかけてきた結果の実在の姿が、このあほうど りなのです。

こ うして竹脇さんも加わり、私たちは回航の成功を喜び合い、あほうどりの上で祝杯を挙げました。竹内さんもようやく回航という肩の荷が下りて、これ以上ない くらいに上機嫌になってました。そして、竹内さんが「みんなで回航の記録を書こうよ!」と言ったのです。それを聞いて秋山さんがすかさず「一番書きそうも ないやつが良くそんなことを言うなあ!本当かよ?」と会話してました。竹内さんにそのようなことを言わしめるほど、この回航が重たいものだったのです。秋 山さんも、回航隊長としてさぞかし胃が痛かったことと思います。事実、秋山さんは、下田に入ったとき、「俺も胃に穴が空きそうだよ!」と零していたほどで す。
回航は、天候に恵まれ順調なときもあれば、メイストームに見舞われ、さらにエンジントラブルもあり、山あり谷ありの日々でした。ですが、そのような試練が あったからこそ、一人一人の脳裏にくっきりと刻み込まれた大きな思い出となって、無類の喜びを与えてくれたのではないでしょうか。

そ のように無事到着の祝宴が一通り終わり、私があほうどりから桟橋に降りた瞬間、私は安堵して気が抜けたせいか、あるいは酔っぱらってしまったせいか、手に 持っていた白杖がうっかり手から離れてしまいました。そして、杖はそのまま桟橋から海に落ちて沈んでしまいました。杖が海中に沈んだことで、ここに視覚障 害者のシンボルが、あほうどりの錨と共に根を降ろしたことになりました。

その後、あほうどりの整備を行い、東 京の活動が6月から本格的に始まりました。参加者は1回の平均が10名を越え、多いときは20名を越えることも多々ある大盛況となっています。そのため、 あほうどり1艇だけでなく、協力艇にも出てもらい、佐藤さんのグッドや児玉さんのスパークリング・クラウドが加わっての活動になっています。3艇が JBSAのフラッグをなびかせ、浦安沖をセーリングするのです。その光景は、JBSAの存在の大きなアピールに、きっとなっていることでしょう。

5月29日(土) 夢の島マリーナ
この日の昼から、あほうどりのお披露目と歓迎を兼ねたBBQがマリーナで行われました。グッドのクルーの方々が腕をふるってごちそうを出してくれました。 私はその日、仕事が半日あり、マリーナに着いたのは午後3時過ぎになってしまいました。既に祝宴は佳境に入っており、皆ご機嫌になってました。そこには回 航に加わったメンバー全員の他、竹脇さんを初め、白子さんや日高さん、協力艇のクルーの方々、それに、これから東京の活動に新会員として参加する人たちな ど、大勢集まっていました。また、茨城県の霞ヶ浦でブラインドセーリングの活動を起こそうと準備をしている、京成ホテルの秋元さんの顔もありました。

竹 内さんは、あほうどりのバースとマリーナのロビーの間を行き来するのに自転車に乗っていましたが、もう大分お酒が入っていたせいか、ちょっと漕いで進んだ かと思うとよろけて直ぐに倒れてしまったりして、皆に笑いを振りまいていました。また竹内さんは、新入会員のブラインドの女性がダイビングをするという話 を聞いて、「俺もダイビングをしていたんだよ。JBSAにダイビングクラブをつくろう!」なんて言ったりして、にこにこでした。すると、そこに浜名湖の飯 島さんが現れました。飯島さんはこの日、東京で同窓会があるとのことで上京したそうなのですが、このパーティーにも出席してくれたのです。飯島さんは、あ ほうどりが瀬戸内海を航行していたとき秋山さんの携帯に、関空マリーナからの回航に参加したい、と申し出の電話をしてきてくれたのです。しかし、この申し 出は大変ありがたかったのですが、既にあほうどりの乗員が一杯になっていたので、やむなく遠慮していただいたことがありました。また、飯島さんには、私た ちが強風と高波の中、下田を目指して走っていたとき大変ご心配をおかけしました。そのとき、竹脇さんと飯島さんが、いつ保安庁に連絡をしようかと協議して いたほどでした。

そのようにあほうどりは、実際に乗っていなかった人たちの心も乗せて、熊野灘、遠州灘を越え て、500数十マイルの航海をしてきたのです。そして、何より竹内秀馬氏の志を乗せて、はるばる今治から夢の島にやってきたのです。ここで改めて回航を応 援してくださった皆様方に厚くお礼を申し上げます。そして、あほうどりを私たちに寄贈してくださった竹内秀馬氏に心より感謝申し上げます。これからも皆さ んのご支援を賜りたくよろしくお願いいたします。

午後6時、BBQは大変盛り上がり、各人三々五々解散して行 きました。そして、回航してきたメンバーと竹脇さんを含めた数人があほうどりに乗り込み余韻を楽しんでいました。私はそのとき、竹内さんにボースンチェ アーというのがどんなものか見せてもらえないか尋ねました。すると竹内さんは「それならマストに上がって見ようよ!」と言って、ボースンチェアーを出して きました。チェアーというからには椅子のようなものにハーネスが着いているのかと想像していたのですが、実際のそれはまるでおむつのようなものにシートを 通しただけのものでした。そして、そのボースンチェアーに足を通しました。竹内さんは「本当は自分でやるんだぞ!」と言いながら、シートをチェアーに巻き 付けました。「準備できたよ!」と竹内さんが声を上げると、橋本さんがメンハリを引き始め、私はそのハリヤードに引き上げられながらマストによじ登りまし た。先ずマストを掴んでブームに足をかけ、ブームの上に立ち上がりました。それから両足でマストを挟みながらさらに登って行きました。子供のころ木登りは 良くしましたが、大人になってからのそれは体が重く、腕に力が必要です。そうして少し登ると、下から「そろそろ手を伸ばすとスプレッダーに届くだろう!」 と声がかかりました。それで、マストを片手で抱えながらもう片方の手を伸ばすと、スプレッダーに手がかかりました。そして、スプレッダーを掴んで、よじ登 り、今度はスプレッダーの上に立ちました。
ここまでで下から聞こえる橋本さんの声が、大分下からのように感じました。
「後5メートル!」と、橋本さんの声がしました。私は一息飲んで、再びよじ登り始めました。まだかまだかと思いながらよじ登りました。私が登るのに合わせ て、橋本さんがハリヤードを引いてボースンチェアーを引き上げてくれるのですが、ボースンチェアーは座っているという感触があまりなく、お尻が宙に浮いて 股の下に引っかかっているという感じです。
「後1メートル!、手を伸ばすとサイドステーに手が届くでしょう!」と、橋本さんが下から声を上げました。必死になって手を伸ばすとワイヤーに手がかか り、さらによじ登りました。「そろそろ手を伸ばすとマストトップに届くんじゃないかなあ?」と声がしました。
関空マリーナで坂本さんがマストに登ったとき、下から上を見ていると、それほど高くないように感じられたのですが、こうして自分が上ってみると、かなり上 に上がってきたような気がします。下から呼んでいる声を聞いていると、ちょっと心許ないナイロン製の猿回しに足を通しているだけで、1本の柱に必死でしが みついている自分の高さに怖くなってきます。
私は「もうちょっと上げて!」と言って、ボースンチェアーを橋本さんに引き上げてもらいながら、サイドステーのワイヤーを引き寄せて登りました。胸の辺り にはブロックやらカムやら、何か金具がマストから垂れ下がっていました。そして、そこいらを探りながら手を伸ばすと、ありました。マストトップの上面に手 が触ったのです。「あったよ!マストトップに手が届いた!」と叫びました。すると「ついでに風見を直して!」と下から橋本さんが言うと、続いて佐藤さんが 「今度はグッドのマストに上ってもらおうかなあ!」と言っている声が下から聞こえてきました。
「早く下ろしてえ!」。その声は、夕闇せまる夢の島マリーナにこだますように響いていきました。 完

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あほうどり回航記