あほうどり3周年記念セーリング

文 村井

夢の島で5月26日に行われましたあほうどり3周年記念セーリングとパーティーの様子については、既に鈴木さんよりレポートされていますが、あほうどりでのセーリングの様子について、改めて、村井が報告します。

サイテッド
竹内さん、秀馬氏、竹内さんの妹さん、弐瓶さん

ブラインド
竹脇さん、村井

 竹内秀馬氏には、2年まえ、2005年の9月にも、夢の島におこしいただいたことがあったのですが、その日はあいにく、前日までの台風の余波のため、強風により、残念ながら海に出ることができませんでした。そして今回あほうどり3周年を迎え、秀馬氏を及びして、記念セーリングを行いました。

 あほうどりには、私、村井と竹脇さん、弐瓶さん、竹内さん、竹内さんの妹さん、そして、秀馬氏が乗船して、10時半に出航しました。京葉線の鉄橋を越えたところでセールを上げセーリング。しかし、以外に吹いていて、ヒールが厳しく、直ぐにリーフしました。
 その間、私、村井がティラーを持っていました。艇を上に立てて、リーフ作業をしたのですが、風がよく分からない。竹内さんに自分で感じろ、と言われながら、ばたばたしたものの、作業終了。タックを繰り返しながら河口を進み、沖に出ました。そして、ようやく船が安定して、でぃずにーしー沖へ上って行きました。
 しばらくしたところで、ティラーを秀馬氏に変わりました。その際、秀馬氏に、東京湾でクルージングしたことがあるか尋ねたところ、日本丸で乗っていたとおっしゃっていました。日本丸の7号船室が秀馬しが寝泊まりした部屋だったそうです。皆さん、横浜の日本丸を訪ねたときは、7号線室を是非ご覧になってください。

 いつものディズニシー沖に到着したところで、今度はティラーを竹脇さんに変わりました。ここで、キャビンからビールやドリンクを出して、乾杯。この日は南西の風ということもあり、東京湾らしからない海の様子で、飛沫を何度か浴びていましたが、口の周りに被って乾いた海水の塩っ気が、ビールのアジを引き立て、一層美味しく感じさせてくれました。
 秀馬氏は、お酒を飲まれない方で、ご長男さんとは大違いなのですが、秀馬氏はこのとき確か、コーヒーかウーロン茶を召し上がっていたかと思いますが、日本丸に乗られていたころの東京湾と、今映る東京湾とでは、どのように見えたでしょうか?
 竹内さんの妹さんは、瀬戸内海で秀馬しとこのあほうどりに何度か乗られたことがある、とのお話でしたが、ディズニーシーを海から見て、「ああ!今噴火した。」、と声を上げ、楽しんでいただけたようです。

 そのように私たちは秀馬氏とセーリングを楽しみ、帰港。追ってになってからは、再び、私、村井がティラーを持っていました。追っては得意なんだぞ、というと、竹内さんに得意と言う割りには、船が蛇行しているぞ、と言われてしまいました。そこそこ強い風が吹いていたこともあり、30分ほどで、マリーナに入りました。

 私は船を下りてから、秀馬氏とレストハウスまで、ご一緒しました。そのとき秀馬氏が戦時中、商船に二等航海士として、7000トン級の船にのられていたころのお話を伺っていました。秀馬氏は、一八年と一九年の二階、乗っておられた船が遭難しているのです。
 昭和一八年のときは、鉱石を積んで、はい南東沖を航行していたときに、魚雷攻撃に合い、船が沈没した、とのことです。水柱が上がり、秀馬氏達は、16メーターの強風の中、船を諦め、海に飛び込み、波間に浮かぶカッターを目指して泳いだそうです。月夜だった。海に飛び込んで船を離れたとき、秀馬さんたちが始めの魚雷攻撃を受けたときに立っていた船の艫に再度魚雷が当たり、そこが亀裂した。
 南の海とはいえ、冬だったので、それなりに寒かったため、外套を着ていた。その上に枕型のライフジャケットを旨の前と後に巻いた恰好で泳ぐことになった。しかし、そんな恰好で泳いでも、なかなか進まない。それで、秀馬氏は、外套の旨ポケットに入っていた新婚の妻の写真を月明かりに照らして一瞥。そして、外套とライフジャケットを脱ぎ去り、懇親の力で、泳いだ。
 こうして、ようやくカッターにたどり着き、先に到着していた仲間に引き上げられた。このとき差し出された引き上げ棒の感触は今でも、手にしっかり覚えている。これで助かったと思ったそうです。そのようにして、秀馬氏たちは戻ってくることが出来たのですが、船長他数名は帰らぬ人となってしまったということです。

 昭和19年のときは、瀬戸内海から神戸まで、大豆を運んでいく途中、機雷に船が当ってしまい、浸水したため、船を砂浜に座礁させ、船を下りた、とのことです。船が機雷に当り、浸水したとき、船長が一等航海士と、当時二等航海士だった秀馬氏に、どうするか意見を求めたそうです。
 そのとき、一等航海士は、そのまま神戸まで行きましょう、と言ったのですが、秀馬氏は、近くの砂浜に船を座礁させましょう、と答え、意見が二つに分かれてしまった。そして、船長は結局、砂浜に座礁させることに決断した。その理由は、以前に小麦を積んだ船がやはり進水して、そのときに水を吸った小麦が膨れ上がり、その圧力で船体を壊し浸水して沈没したことがあったからだそうです。
 そして、秀馬氏たちは船を座礁させたのですが、やはり大豆が水を吸って膨張して、船の壁面を圧迫して、それでリベットがキシキシ音を立てて、亀裂していくのが聞こえたそうです。朝になると、船のその部分が膨れ上がっているのがよく見えた、ということでした。

 正に壮絶な体験というより他ないお話でした。そのような秀馬氏の分身ともいうべきあほうどりだったからこそ、あの航海を乗り越えて、夢の島にたどり着くことができたのだと、しみじみ思わされました。私たちにあほうどりをありがとうございます。そして、ここ夢の島で秀馬氏の白寿のお祝いが出来ることを願い、乾杯させてもらいました。

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