第5回全日本選手権2004 レポート 村井優夫

文 村井優夫(チームKamm)

皆様の多大なご協力を持ちまして、第5回全日本ブラインドセーリング選手権を無事に終ることが出来ました。大会を支えてくださった多くの方々に先ず、心より感謝を申し上げます。
私は今大会で優勝チームとなりましたチームkammのメインシートトリマーを担当した村井と申します。私たちのチームkammは、昨年の10月に静岡県の浜名湖で行われました第4回全日本大会と同じメンバーで今大会に参加しました。昨年は参加艇全6チームの中、総合第5位という不本意な結果に終ってしまいました。
今年はそのリベンジを果たそうとチーム名もメンバーもポジションも同様の布陣で選手権に臨みました。そして、今大会では2レース行われた何れのレースも、着順第1位でフィニッシュ、第5回全日本ブラインドセーリング選手権の優勝チームと成ることが出来ました。

チーム kamm

●ブラインド ヘルムスパーソン   川添 (写真 左から2番目)
●ブラインド メインシートトリマー 村井 (写真 右から2番目)
●サイテッド サイテッドスキッパー 安西 (写真 一番右)
●サイテッド ジブシートトリマー  村上 (写真 一番左)

kammというチーム名は、メンバーの頭文字です。

私たちは昨年の浜名湖大会でもこのメンバーで参加したのですが、前述のように浜名湖では総合5位に終わってしまいました。レースそのものは勝っていたにも関わらず、きわめて初歩的なミスによって全3レース行われた中の1つを失格とさせてしまったことの結末でした。
浜名湖大会では初日に2レースが行われました。チームkammは、第1レースを2着、第2レースを1着でフィニッシュしました。私たちはその結果に満足しながらハーバーに帰ってくると、第1レースが審問となっていた。そこで私たちは初めてペナルティー解消を十分にしていなかったことに気づかされ、着順2位だったレースが失格となってしまったのです。
そのレースでは、私たちの艇が他の艇と接触してしまい、そのペナルティーの解消をすべく360度回転したのですが、帆走指示書では720度回転しなくてはならなかったのです。当該のレースの帆走指示書を良く読んでいなかったために、ブラインドのワールド大会と同じ内容だと勘違いしていたのです。

この第1レースでは、3番手を大きく引き離して、2着でゴールラインを通過していました。その差は例え私たちが720度回転していても、着順に変更はない程でした。それだけに大変悔しさが残りました。そして、私たちは翌日のレースをがんばると気を取り直したのですが、大会2日目は風がなく、1レースしか行うことが出来ませんでした。しかもそのレースでは関東勢同士がスタート前のポジション取りでつぶし合いをしてしまい、スタートを出遅れてしまいました。微風のところでの出遅れでしたので、結局それを挽回することが出来ないまま、レースが終ってしまいました。その結果、チームkammは総合5位に甘んじることになってしまいました。2日目が存分にレースを消化することなく終ってしまっただけに、なんとも味の悪い、鬱憤の貯まる大会になってしまいました。

大分前置きが長くなってしまいましたが、私たちのチームkammは、そのリベンジを果たすべく、今大会に臨んだのです。しかし、大会前のチーム練習は実質半日しか出来ませんでしたが、それでもチームとしてのコンビネーションが既に出来上がっているチームでしたので、十分に上位を狙って行ける確信がありました。昨年の反省を生かして、今回のレースに臨んだことが良い結果に結びついたと思います。

大会第1日目(2004年9月18日 土曜日)
南西の風 9?12メートル
波高   1?2メートル
ソーセージコース 2周
チームkamm使用艇 テンプス

大会当日の天候は快晴でしたが、前線の影響により、南西から強い風が入り、海面は波が崩れ、厳しいコンディションでのレースになりました。そのため、浜名湖のチームは苦戦を強いられたようです。彼らは普段湖で練習をしているため、今回のように波の立つ海面でのセーリングに慣れていなかったのです。そのせいか、浜名湖からの参加者の1人がレース中に船酔いをしてしまい、初日の第2レースをリタイヤしてしまったほどです。
そのように強い風と波がある中、初日は2レースが行われ2日目は強風・波浪注意報が出されるような天候であったため、レースをすることが出来ませんでした。従って、今大会では初日の2レースの結果で総合成績が決まってしまいました。

 第1レース

私たちは、ハーバーからテンプスに乗り込み、レース海面に向かいました。シーボニアの出口を出ると南西からの風に煽られて波が立っていました。波がそれほどでもないところで船外機をキャビンに下ろしセールのチューニングをしながら艇を走らせたのですが、うねりに叩かれていきなり潮を被ってびしょびしょになってしまいました。「今日はスプレーを浴びるぞ!」なんて言いながらタックとジャイブを繰り返しました。
スタートラインで艇を上に立てマークの位置を計ると、上スタート有利、それで、私たちは上スタートを狙うことにしました。 そして、スタートすべく本部艇の上側から落として行き、ラインを切ろうと上らせて行ったのですが、まだ早かったことが分かり、そのためタックを返したかったのですが、既に他の艇が来ていたため、落としジャイブして上って行こうとしました。

その時のことです。メントリをしていた私が手でブームを返してメインを入れようとシートを引いたのですがシートが引けません。良く見るとメインシートがカムに絡んでしまっていました。すぐにジブトリをしていた村上さんが慌てて直して、私が再度シートを引きメインを入れました。その結果、私たちの艇はスタートに出遅れて3艇身離れてどん尻でラインを超えました。
それからは順調に艇速が上り先行した艇に直ぐに追いつきました。先行艇は何れもスタボーで並んで走っていました。そこにテンプスが1番上側に立ったのです。その結果、私たちは他の艇を押さえることが出来ました。そのため、他の艇はタックを返したくてもタックすることが出来ず私たちに「タックしろ!」と怒鳴ったらしいのですが私たちには聞こえませんでした。

この日のレース海面は左が有利と私たちは見ていました。左海面の方は風が一定して吹いていて、またスタボーで左海面を進んだ方が、波を斜めに越えて行くことになり、艇が叩かれないで済んだのです。ポートになると波をもろに受けてしまい叩かれて艇速が落ちてしまうのです。
私たちは、そのように左海面を進むのが有利と見て、しばらくそのまま走って行きました。すると、後方にいた艇からタックを返してポートで右に進んで行き始めました。
すると、同様にポートで進んで来た艇が、前方10時ぐらいのところに出てきて、ミートしそうになりました。私たちは、その艇に向かって「スタボー」と怒鳴って権利を主張しました。レースで「スタボー」と叫ぶと血が騒ぎます。この興奮がレースの快感です。「スタボー」と数回叫ぶと、相手はそれに気づいて落として行きました。

私たちはなおスターボードタックのまま左海面を進みました。すると再び別な艇がやはりポートで右に進んで来たので、「スタボー」と怒鳴ると、その艇も落として行きました。これで私たちはほぼ頭に出ました。そして、間もなくタックを返してポートで進みマーク手前で再度タックしてトップで回航しました。私たちは上マークを回航して直ぐにジャイブしました。
そのとき、後から回航した艇の声が聞こえていました。他の艇は回航してからもそのままスタボーで進んでいました。その中で、天空チームのピンクキッスが良い足で進んで来ました。それに対してポートで進んでいた私たちは艇速があまり良くありませんでした。そこで私たちは再度ジャイブして、天空チームを押さえてかかりました。そのままテンプスとピンクキッスは2艇身差ほどで拮抗して走り下マークをアプローチしました。

スキッパーから「シートを絡ませないように注意してね」と言われると、ジャイブしてそのままクローズの声がかかり、私は片手でシートを押さえながらブームを返しデッキに座り直して直ぐにシートを勢いよく引きました。
下マークを回って、私たちはポートのまま5、6艇進行ったところでタックを返して再び左海面を取りに行きました。そのときSORAチームとはかなり離れていました。しかし、1下を回ってからあまり艇速が付いていませんでした。そこで、バックステーを引き増しすると足色が良くなりました。また、ジブハリが落ちていたのでウインチを使って巻き上げました。
こうして、私たちは2上も1上とほぼ同様のコースを辿って、マークをアプローチして行きました。そして、2上目を回り、今度はそのまま落せるだけ落とし、1本でゴールラインを通過しました。結果、スタートのときはどん尻だったのに1着ゴールインです。2着の天空チームには差を付けてゴールとなりました。

 第2レース

私たちは第1レース1着でゴールイン出来たことで、その余韻を味わいながら他の艇がゴールして来るのを眺めながら一服していました。本部艇から第2レースのスタート時刻が発表され、それを聞いてから艇をシバーさせてくつろいでいました。1レース目の様子を振り返ってしゃべっていたのですが、本部艇の方を振り向いて気が付くと、第2レースが既に始まっているようでした。
私たちは慌てて艇を走らせたのですが、時間を合わせそびれてしまったので、正確にスタートをカウントすることが出来ませんでした。そのため、他の艇の様子を見ながらテンプスを運んでいたら3分前になったかと思っていたら、本部艇から四声が聞こえてきました。そこで時間がまだ4分前だと分かり再度艇を回しました。
そのようにして、おおよその時間を計りながら艇を運び、第1レース同様に本部艇の上側から落としてきて上らせ上スタートを切ろうとしました。
その際、スキッパーの安西さんから上らせてからタックと声がかかったのですが、ここでもメントリの私のミスで、シートを十分に引かないままタックに入ったので、なかなか切り返すことが出来ず、シートを引き直してタックしたためスタートが遅れてしまいました。7艇中、4番手ぐらいでした。私たちは今度も左海面を取りにテンプスを進めました。しかし、第2レースでは艇が左右にばらけてスタート後の位置取りをして行きました。「みんなチューニングをしてきたなあ!どこも良く走っている。第1レースより、離せないなあ。」と言いながらテンプスを走らせました。

この日のスキッパーは、昨年のリベンジを意識して普段よりたくさんの指示を飛ばしていました。ヘルムスパーソンの川添さんに上りのときはうねりが来たら叩かかれないようにちょっと上らせて波を刺しに行くように「上らせて!上らせて!」と指示を出し、フリーでは艇がサーフィングするように「落として!落として!」というように、ほとんどずうっと声を出していました。また、艇が上りに変わるとスキッパーも体重移動をしてメントリとジブトリの間に来て艇を起こしたり、パンチングをつぶしていました。そのようにして、私たちは第2レースもほぼ第1レースと同様のコース取りをして進み、1上を回るときにはトップに立っていました。結局そのままゴールインとなり、第2レースも1着を取ることが出来ました。私たちの艇にゲストで乗ってくださったバルキリーの石塚さん、相当潮を被ったと思いますが、大変ありがとうございました。

大会2日目の9月19日は、荒天のためノーレースとなってしまいました。私たちのチームとしてはこの日もきちんとレースをやって優勝を決めたかったのですが、結局ノーレースとなり、初日の成績で第5回全日本ブラインドセーリング選手権大会の優勝が決してしまいました。

昨年、私たちは初日の第1レースを失格とさせてしまい、その結果成績が振るわず2日目にかけていたのに、風待ちになってしまい1レースしか出来ず鬱憤の残る大会になってしまいました。今回も初日の成績で優勝が決まってしまい、2日目にかけていたチームは、さぞかしストレスが貯まったのではないかと察します。

今回、私たちのチームが優勝できたのは、これまでの反省点を生かすことが出来たことに加えて、昨年と同じメンバーのチームで臨んだことです、チームとしてのコミュニケーションとコンビネーションが出来ていたことが大きかったのではないかと思います。

最後になりましたが、強風にも関わらず無事に大会を終わることが出来たことには、今大会を支えてくださった皆様のご支援があったからこそ出来たことと、大変感謝しております。
シーボニアヨットクラブの皆様、並びにマリンリゾート株式会社の皆様、そして、私たちに大事な艇を貸し出してくださった皆様、また、大会スタッフの皆様に改めて心より感謝を申し上げます。私たちがこのようにセーリングライフを楽しめるのも、皆様のご助力あってのことと存じております。これからもどうぞ、暖かいご支援をよろしくお願いいたします。