第5回世界選手権2002 イタリア・ワールド奮戦記 秋山淳

文 秋山淳(B1 サイテッドスキッパー)

9月20日 18時5分 ミラノ・マルペンサ空港に降り立った私たち日本選手団はその晩ブレシアに一泊し、翌21日「第5回世界ブラインドセーリング選手権」開催地ガルダ湖ガルニャーニョ(Gargnano)に入った。
これから10日間滞在するホテル・メアンドロのファミリー、マーサ・サムエリは美しいガルダ湖畔のロッジのたたずまいそのままに優しく迎え入れてくれた。

早速、大会会場であるチルコーロ・ヴェラ・ガルニャーニョ(Circolo Vela Gargnano)のヨットハーバーを訪ね、今回B1、B2クラスの使用艇であるプロタゴニスト(PROTAGONIST 7.50)とB3クラスのドルフィン(DOLPHIN 81MR)を見に出掛けた。
両艇ともイタリア人デザイナーの手による設計で、特にプロタゴニストはブルース・ファーのプラトゥにも似た切れ味の良い先鋭的な感じの艇である。

23日午後から3日間予定されたプラクティスは、初日は8?9ノットの安定した順風。セールトリムがピタッとはまると驚くほどのスピードで快調に走る。2日目、3日目は20ノットを超す大荒れの天候。大会本部からも出港停止のシグナルが出されるなどプラクティスセーリングの時間が圧縮されたが、プロタゴニストの広いコクピットに馴れるためハーバー内でタック、ジャイブのシュミレーションを繰り返し行った。

ガルダ湖はスイスとの国境に程近い、南北に細長く伸びたイタリア最大の湖である。四方を山に囲まれておりトリッキーな風が吹くとの定評がある。到着後数日の天候から判断すると、午前中は北の山間いから吹き降ろしてくる強く重い風が吹き、午後は南に変わって微風、軽風になるというパターンが典型的なこの地域の気象のようだ。さらに風向も風道も常に微妙に変化しており、なるほど頭が痛くなる程トリッキーである。

26日よりいよいよ本レースが開始された。B1クラスは世界各国・地域から10チーム(日本、イタリア、ニュージーランド、フィンランド、ノルウェー、英国、北アイルランド、アメリカからマサチューセッツ、テキサス、ロードアイランド)が参加した。

ポイントとなった主なレースをレポートすると、

[第1レース]

初日のB1レースは午前9時から。強風が吹くと予想されたが7?8ノットの軽い風。日本チームに勝機ありと力んでしまったかスタートは大失敗。9番目でライン風上側から出て行った。メンバー全員で落ち着いて挽回して行こうと気を取り直し、風の良いところを拾いながらボートスピード重視で艇を走らせた。その結果風上マークでは4番手まで上がって回航。ダウンウインドに入ってから風が2ノットほどに落ち、ますます風道を拾わないと落ちて行く。何とか4番手をキープして風下マーク回航、2上へ向かう。コース短縮された上マークフィニッシュラインに向けて、最後2 ?3艇身オーバーセーリングした私たちはロードアイランドに前を切られて5位でフィニッシュした。
スタートの失敗と最後のオーバーセールは残念だったが、ボートスピードは文句ない。トリムに集中して艇を走らせれば十分戦えそうだと手応えを感じた。

[第3レース]

2日目27日のB1クラスは午後からのレースとなったが、無風状態が続き 15時過ぎまで風待ち。ようやく南から6?7ノットの風が入ってきたところでAP旗が降りる。この風なら日本チームに有利とばかりにスタートラインに突っ込んで行く。ライン中程のいいポジションからトップスピードでジャストスタート。フレッシュな風を得て他艇を半艇身、1艇身とぐんぐん離して行く。そのまま快調な走りが続き、いよいよ上マークトップ回航が見えてきた。マークから10艇身ほどのところでレイラインへのタックを返す。しかし見通しが甘くマークに入れない。もう一度タックを返して高さを取りに行ったが、スターボの後続艇に抑えられやむなく再タック。この時点で艇速は完全に落ちてしまいマークに大きく貼り付くようにタッチしてしまった。その後360度のペナルティ回転、その間に他艇に先行され最下位に転落してしまう。そのままの位置で風下マーク回航の後、2上への上りで再度4艇をとらえフィニッシュは6位まで挽回した。走りが良かっただけに上マークでのバタバタが大いに悔やまれるレースであった。

2日間3レースを終えた時点で、日本チームは5位タイに位置していた。4位に1ポイント、3位に3ポイント差と僅差であり、残りのレース次第で十分上に上がれるポジションにいた。
迎えて28日最終日、この日B1クラスは苦手の強風が予想される午前中3レースが予定されていた。

[第4レース]

北の風、20ノット近い。午前中の北の強風は白波を伴って湖面を吹きぬけて行く。全艇に1ポイントリーフの指示。レースコミッティはマークを打ち終わって即予告信号を発した。スタート出遅れ、上マークへ向かう中盤ではスターボ艇とのミーティングでうまくかわせず相手艇からB旗を揚げられ360°回転などミスが続き上マークは最下位回航。ダウンウインドで2艇をとらえて下マークを回航するも、2上へのコースどりが悪く最後は風も極端に落ちてタイムリミットぎりぎりの最下位でフィニッシュと散々なレースとなってしまった。

続く第5レース、第6レースは風も10ノット程度に落ち着きリーフを解除。しかし今度は艇速が今ひとつ伸びず、7位、10位と振るわない結果に終わった。最終的に6レ-スを終了して日本チームは8位と大きく順位を落としてしまった。

レース全体を振り返ってみると、サイッテッドスキッパーである私のミスが多く目立ったシリーズであった。スタート、マークへのアプローチ、コース取りなど基本的なタクティクスの面で他チームに遅れを取ってしまった。艇は良く走っていただけに、チームメイトに残念な思いをさせてしまったことが心残りである。

しかし、ガルダ湖での大会はとても素晴らしいものであった。
イタリアのオーガナイザーは、事前に取り沙汰されていたこととは異なり、立派に大会運営を行って各国からも高く評価されていた。
一方ノルウェーチームからは、来年のヨーロッパ選手権に日本もオープン参加しないかと誘われたり(橋本洋一さん情報)、またテキサスチームからは、ヒューストンで大会を開くので日本にも案内を出したい等々、まさにワールドならではの交流も多々あった。

次回は2005年、ニュージーランドのオークランドでの開催。今回数多くの課題を残した日本チームであるが、3年後に向けて上位と互角に戦えるチームづくりを目指していきたい。

最後に、今回の遠征にあたって各方面の皆様より多大なご支援、ご協力をいただきましたことに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。