活動報告 2023年1月23日 ロータリークラブ講演会
JBSAの創設者である竹脇さんから、東京白金ロータリークラブで、ブラインドセーリングについてスピーチ依頼があるとのお話がありました。竹脇さんとご相談の結果、小倉さんにお願いしてみましょうということになり、今年1月後半に、講演をしていただきました。
それでは、小倉さんの文章をお楽しみください。
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1月23日に、東京白金ロータリークラブ例会にて、NPO法人「日本視覚障害者セーリング協会」JBSAについての卓話をさせていただきました。
これはJBSA創立者の竹脇さんの友人で白金ロータリークラブの会員である、ブラインドの大河原さんからいただいたお話でした。
当日は竹脇さんと奥様の三香さんも同席いたしました。
東京白金ロータリークラブは創立以来、活動のひとつとして「視覚障がい者に明るい未来を!」をスローガンに、<日本盲導犬協会への募金活動><むつき会への支援><パラリンピック高田千明選手の支援>等々、視覚障害に関わる多くの奉仕活動行なってきました。
また、クラブ合同国際奉仕活動では、海外への支援活動も積極的に行なっております。
そんな白金ロータリークラブの皆さんが、「風は誰にも見えない」を合言葉に設立したブラインドセーリングに興味を持ってくださったことを嬉しく思います。
この日の卓話では、JBSAのこれまでを5つに分けて説明いたしました。
1、ブラインドセーリングについて
JBSAがレースで使用しているヨットは、J24という長さ24フィート、約7.3メートルのクルーザーです。
このヨットをブラインド2名とサイテッド(晴眼者)の2名の4人ひとチームで操船します。
ブラインドの担当は、舵をとるヘルムスマンとメインセール(大きな帆)を操るメイントリマー。
サイテッドの担当は、海面を見ながら風を予測してコースを決めたり他のヨットの状況を伝えるスキッパー。ジブセール(小さな帆)を操り、船と目的のマークとの角度を伝えたり、風に合わせた動きと細かな作業をこなすのがジブトリマーです。
ここでは責任ある役割分担がしっかりと決まっております。どれだけミスを少なくこなせるかが、勝負になってきます。私達ブラインドは目が見えないだけで、体は健常者と同じように動くので、ヨットに乗るスタイルは健常者と同じです。ただワールドでは見え方によって差が出ないように3のカテゴリーに分けています。
B1は全盲、B2は光を感じたり手の動きがわかる程度、B3は弱視それぞれカテゴリー別にフリートレースが行われます。
ここまで説明を準備したのですが・・・卓話の前に上映した「視覚障害者スポーツ紹介のDVDの中に収められたブラインドセーリングの説明が分かりやすかったので、ここは省略いたしました。
このDVDは筑波技術大学が視覚障害者のスポーツの紹介として作成したもので、「ブラインドセーリング」に関してははJBSAが監修しております。
今回DVDを所有していた町田さんが事務局へ寄贈してくださいましたので、興味のある方はご覧になってください。
2、JBSAの誕生
当協会の創立者である竹脇さんのことが書かれた著書「ブラインドセーリング 失明からの復活戦!」(著者 軍司貞則)を参考にいたしました。
青山学院在学中にヨット部を発足させた竹脇さんは、卒業後はラジオ局のアナウンサーをしておりましたが、緑内障のために原稿を読むのが困難になり、仕事を途中で断念いたしました。
所有していたクルーザーでのセーリングも、さらに続く視力低下によってままならなくなりました。
海から離れて久しい頃、テレビのニュース番組でニュージーランドで行われたブラインドセーリング大会のことが紹介されました。
竹脇さんは思わずテレビ局に電話をしたのでした。
それからは、テレビ局の関係者、ヨットの関係者、青学ヨット部OBと多くの方々が、「日本でもブラインドセーリングを」と、竹脇さんの背中を押し続けたのでした。
ニュージーランドで行われたブラインドセーリングキャンプに参加すると、帰国後にその様子がドキュメンタリーとしてテレビで放映されたのです。
するとこれまで以上に応援や期待の声が高まり、日本でのブラインドセーリングは現実味を帯びていきました。
さらに、翌年開催のイギリスウェマスでの第3回世界選手権大会ワールドへの案内状が竹脇さんのもとへ届いたのです。
ウェマスといえばヨットマンには憧れの聖地。それまでずっと慎重だった竹脇さんでしたが、ワールド参戦を決めると、その年にJBSAを創立。1996年のことでした。
初めてのイギリスワールド参戦では、見慣れない東洋人に対して欧米選手達は塩対応。上から目線で声もかけてくれませんでした。でもレースは初戦から4レースまで続けて2位。
アウェーの中での好成績に、さすがの欧米選手達も親しく話しかけてきたというエピソードがあります。
サポーターの中には、溜飲が下がった人もいたのではないでしょうか。
このワールドで日本は総合3位、銅メダル獲得です。華やかなデビュー戦でした。
3、ワールドをふり返りながらのヒストリー
ここではJBSAが参戦したワールドを紹介しながら、エピソードとともに過去をふり返りました。
例えば、イギリスワールドから2年ごの1999年のマイアミワールドでは到着した日に迎えてくれたのは大型ハリケーンでした。ホテルは停電でエレベーターも使用不可。2日間の練習日はNGでしたが、当日からは晴天。「シェイクアレグ」は車椅子ユーザーが設計したバリアフリーのハーバーです。最多の13カ国が参加。B3チームが銅メダル獲得でした。
2002年はイタリア(ガルーダ湖)ワールド。
2006年はニューヨークヨットクラブがホストクラブでのニューポートワールド。眺めの良いハーバーでは着艇後に日替わりで各国が出し物を披露。ジャパンはハッピを着てお祭わっしょい。連日の強風で実力が発揮できませんでした。
2009年のニュージーランド(ロトルア湖)大会ではB3チームが銅メダルを獲得。帰りの飛行機では、機長によりそのことがアナウンスされると、乗客が拍手で祝福してくれたそうです。
2013年のシーボニアヨットクラブがホストクラブでのジャパンワールドでは、最終日に高円宮妃久子様が観覧戦で観戦。表彰式には英語でのスピーチもありました。ここではB2チームが銅メダル獲得。
各国選手達は、ホストのシーボニアヨットクラブによるおもてなしに感動して帰国したそうです。
2019年には6年ぶりにカナダ(オンタリオ湖)でのワールドに参戦。久しぶりのエントリーに各国選手が歓迎してくれました。
コロナのために数年中止されていたワールドですが、2024年にはフランスで開催予定です。
JBSAはワールド以外にも日帰りでのクルージングや全日本選手権大会なども行っております。
また以前は佐島で行われていた筑波大学附属盲学校の生徒たちのセーリングの会のお手伝いや、東京湾のマリーナにあるヨットクラブ全部が参加するイベントで児童養護施設と先生達にヨットを楽しんでもらうイベントのお手伝いと、微力ではありますが社会活動への強力も行っております。
4 、世界に船出した仲間達
JBSAの仲間の岩本さんは、筑波大附属盲学校の教師(文武教官教諭)でしたが、その安定した職業を捨てて渡米いたしました。
生まれたばかりの愛娘をどこで育てるかで、アメリカ人の奥さんと検討してのことでした。
カルフォルニアでは日本の鍼灸の資格は使えず、あらためて大学院に入り資格を取得し鍼灸院を開設。その後に、間寛平さんが太平洋横断に使用したヨットとの出会いや辛坊治郎さんとの出会により、太平洋横断という夢に向かって出向したのですが、なんと一週間でくじらと衝突してヨットは沈没。二人は自衛隊に救助されました。
ここでの九死に一生のエピソードのひとつを紹介します。
彼が救命ボートに乗り移るときのことです。沈みかけているヨットの後ろから足を下ろすと、つま先が救命ボートに触れたそうですが、波が荒いためにすぐに離れ、しばらくするとまた近づいて、その繰り返しが波の高低差で生じることに気がつきました。そのリズムを数えながらボートが近づいた時に転がり込みました。波の高低差に気が付かなかったら、慌てるだけで太平洋の荒波の中に落ちていたかもしれなかったそうです。
救助のあとはバッシングがひどくて、さすがの岩本さんも半年間鬱状態を経験したそうですが、そのごはトライアスロンにチャレンジしたり、また熊本地震ではマッサージのボランティア。さらに熊本豪雨では災害ボランティアに参加して、地元の人たちのお手伝いをしました。
そして2019年に再び太平洋横断にチャレンジして、成功を果たしました。
サンディエゴから日本、までの12万キロの冒険の終わりのモヤイは、彼のお母さんが受け取ったそうです。
現在は世界初のブラインド海洋冒険家として活躍中。
2018年にハワイを目指して夢の島を出航したのはバッカス艇。クルーはサイデッドの児玉さん、谷下田さん、安西さん。ブラインドは菊池さん、伊藤さん。
旅の途中で仲間が病を発症。衛星電話を駆使して緊急でミッドウェイに寄港の許可を得ましたが、目的地まではまだ遠く、17日後に着艇。自然保護区のために本来ならば入港禁止の島でしたが特別の許可でした。病人はそこから飛行機でハワイの病院に搬送。
バッカスクルーのみなさんもそこから13日後に無事オワフ島に到着。8970キロの冒険でした。
各々飛行機で帰国後は元気でJBSAの活動に参加しております。
ここではクルーの菊池さんと伊藤さんが、日付変更線を超えた世界初のブラインドセーラーとしてギネス級の壮挙を果たしました。
5、これからのブラインドセーリングについて
高齢化が進んでいるといわれるヨットの世界で、インクルーシブを掲げて勃興しているのがハンザクラスです。これはユニバーサルデザインのディンギーで、老いも若きも障害者もそうでない人もみんなで楽しめるヨットとして普及しています。
乗り方はこれまでのヨットとは異なり、正面を向いて座ります。座席はツーシート。自家用車の運転席と助手席のようなスタイルです。
セールと舵はすべて手元で操作できるようになっております。
これは肢体が不自由な方たちがのれるようになっているからです。
さらにこの艇でブラインドがシングルでレースができるように考えられたのがハンザクラスのブラインドレースです。
これこそどう乗るのかしらと思うでしょうね。
これはスマートホンのナビガイドのアプリを利用します。ヨットにスマートフォンを搭載させて目標のマークを音声でガイドしてもらうのです。
さらにマークも音響がでるようになっているので、その音も聞きながら、ブラインドが1人でマークを回航します。
ただ、公平なスタート方法やレース中に接触した場合の処理の仕方等々、課題は多くありますが、三重県伊勢ではこのブラインドレースをトライアルレースとして年に一度行っております。
また、ワールドではこれまでのフリートレースの他に、SERAというスマートフォンのナビアプリを使用しての、ソナークラスでのブラインド3人にによるマッチレースが行われています。
これまではJBSAが行ってきたブラインドとサイデッドによるフリートレースから、ブラインドだけのレースといったスタイルも多くなるのかもしれません。
いずれの方法を選ぶにしろ、関係者一同が安全を一番に、セーリングを楽しんでいければと思っております。
この後は、海洋カメラマンの添畑氏撮影による2013年ジャパンワールドのDVDから、迫力あるシーンを上映していただきました。
以上、ご清聴ありがとうございました。

