レポート2001年

文 篠原政敏

全日本の時にも報告しましたように、此方のオーナーに不幸があって7月半ば以後のセーリングはしておりません。したがって今年は4月から7月までの間に4、5回くらいしか練習しておりません。
4月は湾内レースで約3キロ程度の能古島一周、5月は能古島より少し沖にある玄界島の手前で折り返すレース、6月は片道10キロほどの相之島一周レース、そして7月は片道レースで壱岐レースが行われました。

福岡では4、5月ごろは比較的風が有るのですが、夏にはあまり良い風が吹かずにいつも悩まされております。その典型例とも言える壱岐レースについて書いてみます。7月21日午前0時、小渡沖スタート。風は1?2メートルとほとんど無い状態。スキッパーの黒田さんの判断で少しでも陸風を掴むために陸沿いに進め、風のわりには上位に付けていた用ですが、それでも夜が白み始めたころでまだ4?5キロぐらいしか走っていなかった。我々は交代で1、2時間程度キャビンで仮眠したりコックピットの中でうつらうつらしたりなどして、6時ごろに湾口までたどり着くのがやっとという状態でした。そこは漁船の漁場らしく多数の漁船が列を成して通って行ったり、我々のヨットの周りで旋回しながら魚群を捜していたりという状態でした。おそらく、ここまで10マイルも走っていなかったと想われます。ここからは陸地があまり無いため陸風を捕まえての搬送というわけには行かず、おまけに朝凪でもあり、ほとんど進まず、午前9時過ぎにレースの半分も来ないうちにレースを断念して帰港する事に決定。

レースは9時間もかかって半分も行けなかった事になります。若い男性はヨットの周りで泳いでいたり、あるいはコックピットの中で朝食代わりにそこらに有る物を何でも食べながら、難しい話から女の口説き方までいろんな話が飛び出し、退屈しのぎに時間を潰したことが今となってはそれなりにオーナーと過ごした思い出となっています。

その後、10月にもレースは行われたようですが、僕の都合で参加はしていませんし、11月のレースにも参加できそうにもありませんので、今年は此方でのセーリングはこれだけだと言うことになります。報告と言うほどのものができない事を残念に想います。来年はフル参加できるよう目標にしたいと想っています。