活動報告 JBSA東京 2025年5月11日 TYCレース第3戦
活動日:2025年5月11日
イベント名:TYCレース第3戦(第50回東京港レガッタ・ユニマットカップ)
事業種別:レース関連事業:レースに関する活動。安全講習会や表彰式など
活動種別:レース
担当支部:東京
使用艇:あほうどり
参加ブラインドの名前:小倉,殿垣内
参加サイテッドの名前:児玉,賀来,島津,小柴,副田
会員数:7
体験者数:0
その他:0
合計参加者数:7
開始時刻:11時18分
終了時刻:15時23分
天候など:晴れ時々雲あり,気温19度,風速8から15ノット
航行情報:航行時間:4時間5分, 航行距離:34.82キロメートル
連絡事項:
・燃料用ポリタン1つカラ
・船体燃料半分
・大きいスピン破損箇所あるためリペアシートで修復
・すべてのシート・ロープが固いので一度洗濯機で洗濯
・ウインチ分解清掃必要
・シュラウドにくるくる取り付けた方がよい(ジブ展開しやすいように)
活動のようす:——————————
1. 初代ユニマットカップ優勝者等に!
TYCレースは3月から11月にかけて、レースとしては9戦あります。
愛年、3戦ごとに表彰式があり、年末には年間表彰式があります。
今年から、この第1戦から第3戦を、「ユニマットカップ」として表彰されるようになり、JBSAのあほうどりは、見事その、初代ユニマットカップクラス優勝者となりました。
さらに、TYCレース第3銭は、石原伸晃氏が会長を務める東京都ヨット連盟の「東京港レガッタ」も兼ねており、今回は節目の第50回だったのですが、JBSAのあほうどりは、見事準優勝となり、表彰状とトロフィーをいただきました。
ちなみに、東京都ヨット連盟のサイトをみると、会長は石原伸晃となっていますが、連絡先メールアドレスは、JSAFパラセーリング委員会佐藤委員長のメールアドレスになっていました。知りませんでした。
JBSAは、JSAF特別加盟団体であり、森崎さんは加盟団体代表者を務めています。
パラセーリング委員会では、中尾さんが副委員長及び普及チーム、荒木さんが財務チーム、殿垣内が広報チームに参加しています。秋山さんは、JSAFの理事を選ぶことができる評議員です。
——————————
2. 3年目にして成し遂げたこと
JBSAあほうどりがTYCレースに復帰して、今年で3年目です。2023年は年間クラス4位というまさかの好成績。何年間も、TYCレースにあほうどりででたいと訴え続け、あほうどりでは後ろからついていくことも不可能と言われ続けていましたが、蓋を開けてみれば、JBSAの会員はあまりにも謙虚すぎたことが判明した年でした。眠れる獅子だったわけです。
2024年には年間クラス3位。そして今年2025年は、初戦優勝、第2戦も優勝、第3戦は準優勝と、ユニマットカップでは初代優勝者に、東京港レガッタでは準優勝にまでなりました。
今年は相模湾の湘南レースでも、ルミナスが連続優勝するなど好成績を収め続けており、JBSAの会員が、いかに高度なセーリング技術と豊富な経験を持ち、また何よりもその原動力となっている、ヨットとブラインドセーリングに関わる情熱の強さは、JBSAの会員にとって、大きな誇りです。



——————————
3. 天と地のはざま
今回も、圧倒的なスピードで走るJBSAあほうどり。レース中の島津さんの解説によれば、広報に後発ではあるもののレースクラスAとBの高速艇をひきつれるほどの快走。みな心の中で、1位は間違いなしと思っていました。
そして、本部艇とフィニッシュマークのラインをきってゴール。途中、スピントラブル等はあったものの、おそらくみな自信満々でのゴールだったと思います。
ところが、前回同様、また音響信号が鳴らない。
しかし、複数のメンバーが、鳴ったと自信たっぷりに言っています。前回ならなかったのは、フォグフォーンが不調だっただけというオチがあったため、今回も同様であろうと思いはじめたら、後方の本部艇かプロテストをしたという艇かは私はわかりませんでしたが、「あほうどりさんプロテスト受けていますよ」との声が。
みんな、何のプロテストなのかまったくわからずという感じでしたが、ああ、あれか?ということになり、船上は、天から地に落ちた空気に。
しばらくして、いや、あれのいったいどこがプロテスト対象なのだということになり、つまりは私たちが、ゴールしたあとに言われて、何を言われているのかわからないぐらいほどの認識であり、さらにはプロテストであることを誰も先方から聞いておらず、さらには抗議の赤い旗の表示も、その後の掲揚も確認していないため、大丈夫だろういうことになったものの、1位なのか失格なのかでは、天と地の差なので、すっかり微妙な空気になりました。



——————————
4. 審問と結果
児玉さん、賀来さん、島津さんに、陸での戦いを託し、どうかプロテストが、こちらが認識できないほどのことであったことや、そもそもプロテストを受けたことがまったくわからなかった状況であったことから、無効でありますようにと祈りつつ、あと片付け。
2回目の上マーク(かみまーく)回航に向かうとき、あほうどりはポートタックで走っていました。セールが右舷側に出ている状態。ポート側からは同一タックの艇が近づいてきて左へタックしマークへ向かいました。彼らがあの位置からはいれたのか不明ですが、あほうどりはポートでのばしていきました。
あほうどりからみて2時方面からは、スターボードタックの艇が、マークをそのまま回航できそうなコースで走っていました。
このまま走ればミートするので、あほうどりは1艇身以上十分にあいている状態でタックし、その艇と同一タック艇になりマークへ向かいました。
相手艇は、これに対してプロテストしたようです。
この時あほうどりのデッキでは、相手艇の前を十分通過できるとさえ見ているほどのゆとりがありましたが、先方の様子から、予定より早めに手前で左へタックしたぐらいのつもりでいましたが、相手艇はどういうわけか大きく右へタックしました。
これに対して、相手艇はプロテストとこちらに告げ、抗議旗をあげ、その後掲揚し続けたとのことでしたが、あほうどりではどれも確認できず、そのため、ゴールしたあとに、何が起きたかみなが呆然とするぐらいの認識の差があったことは先述したとおりです。
17時から表彰式でしたが、17時10分ぐらいまで、平行線の審問おとなり、最終的に、先方は抗議旗はオーナーズチェアの横につけていたということで、プロテストの場合は、相手にはっきりと伝わるようにすることと、その後も、明確に意思表示がわかるようにし続ける必要があるということで、プロテストは却下されたとのことでした。天と地のはざまで、ひたすらまつこととなった時間でした。
——————————
5. 贅沢な不満
ユニマットが開催してくれたパーティーは盛況でした。2階レストランの外の広いバルコニーに大勢集まり、ドリンクとフードが振る舞われ、表彰式がおこなわれました。
第1戦、第2戦は1位だったので、もう呼ばれたらさっといける準備。
そして今回の第3銭は、まず3位が呼ばれ、次に呼ばれませんようにと祈りつつ、まあ呼ばれないだろうと思っていたら、あほうどりとのコール。
プロテストをクリアして、実は最後の4レグ目はスピントラブルで3回あげてもうあくいかずジブにするという事態もあったのですが、それにも関わらず、準優勝で呼ばれたのに、「なんだ、2位か」という贅沢な不満の声が数人からもれました。



それでも、とにかく初代ユニマットカップ優勝者となったことと、第50回という節目の東京港レガッタで準優勝をとれたことは、船齢約46歳、資格障がい者がヘルムスとメインも担当して、一般レースに障がい者であるという理由のハンデポイントなしに対等に戦って得られた結果として、最高でした。

報告書作成者:殿垣内 大介

